参議院議員選挙、総括

一昨日の参議院議員選挙は与党、というより、自民党の圧勝という結果に終わりました。自民党は、改選121議席に対して65議席を獲得。1人区では29勝2敗という白鵬なみの強さでした。比例でも18議席を獲得しました。公明党とあわせて76議席。これにより参議院で与党が135議席となり、過半数(121)
を大きく上回ることになりました。いわゆる「ねじれ」がなくなりました。
憲法改憲発議に必要な162議席には届きませんが、条文によっては他党とも連携して可決するものもあるかもしれません。
例えば、憲法9条で言えば、その改憲に前向きな日本維新の会みんなの党民主党の一部とも連携する可能性も考えられます。加憲という立場で公明党が乗る可能性もあります。
条文によっては憲法改憲発議が可能になるほどの力を自民党が持った選挙、
と言えるかもしれません。
言葉を換えれば、自民党に強大な権力をもたらした選挙、です。


僕はこの選挙、「未来 vs 今」という時間軸を巡ってのものだった
という見方をしています。
未来を考慮する人は、憲法原発やTPPなどを重視し、
今を考慮する人は、経済政策、「ねじれ」解消などを重視したのだと思います。
結果、「今でしょ!」の空気そのままに、「今」が圧倒的に支持されました。
それだけ「今」に対して危機感があるのだと思う一方で、
「未来」に対しての関心が少ないのだとも思います。


「今お金が入ってこなければ未来もないでしょう」
「今ねじれを解消しないと法案も通らずに時間ばかりかかってしまうでしょ」
「未来に核のゴミが残る? また原発事故があったらどうする? それより今電  
 気代が上がったり、原油購入で‘国富’流失することの方が問題でしょ」


東京新聞の記事が「今」感をそのまま表しています。

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「重視するのは経済政策。そのためにはねじれを解消しないと」。まだ暑さが残る夕刻前、群衆の中で、生後四カ月の赤ん坊を抱き、演説を聞いていたメーカー勤務の竹内貴紀さん(41)。会社の商品が売れ、景気回復を実感してきた。「子どもの未来のためにも、経済の安定が必須」と強調する。

 金融会社に勤める男性(23)は「株価や企業収益を見ても、今は経済が動いている。これを消費や賃金の回復につなげてほしい」と、経済政策に注目している。駅前で五十年間、靴磨きをしているという川上博実さん(74)も「実入りは昔の十分の一。憲法などの難しいことは分からないけど、早く景気を良くしてほしい」と話した。


7月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/senkyo/sanin2013/all/CK2013072102000162.html    

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「10年後のことなんかどうでもいいよ。今でしょ、今」
そんな声が聴こえてきそうな各コメントです。
これらの「今」を重視する人に自民党が支持され、圧勝した理由は、
自民党が「今」を語っていたからです。(「未来」に関するものは隠しておいて)
「今」を重視する人が、「今」を語る党を支持するのは自然のことです。
圧勝するほどに「今」を重視する「国民」が多かった、ということだと思います。
憲法原発、TPP(の影響)は、時間のかかるものであり、
今日明日にすぐに影響を与えるものではありません。
(もちろん原発は事故があればすぐに影響を与えるような極めて「今」が強いものですが、世の中で「今」の範囲にカウントされているようには思えません。
「福島? ‘未曾有’の事故でしょ。もうこないでしょ」と、「未来」の範囲に持って行かれているのではないでしょうか。)
「今」から離れているもの、離したく思っているものです。
そんな「未来」には興味ありません。
それが「国民」の「民意」だったわけです。


「今」に関連した面白い記事がありました。

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自民圧勝について「僕にはいよいよ与党の『ヤンキー化』が進んでいるようにしか見えません」と話すのは精神科医斎藤環さん(51)だ。「ヤンキー」とは服装などで周囲を威嚇し、自分を強く見せようとする若者を指す。斎藤さんは「『気合』『絆』を重視し、難しい理屈はどうでもいい、今が良ければいいという反知性主義の感性」との意味を加え、現代社会を読み解くキーワードとしている。

 「安倍さんが言う『頑張った人が報われる社会に』とは、気合があれば何とかなるというヤンキー的精神主義そのものです。頑張れない、頑張らない人を含めて救うのが政治の最大の役割。自民党改憲案には『家族の絆』もあるし、外国を威嚇するような『国防軍』もある。将来の国民の健康より、目先の原発再稼働に走る発想も『いま』を重視するヤンキーと同じです」

 安倍首相は3月の参院予算委の質疑で、現行憲法解釈の基礎を築いた憲法学者、故芦部信喜氏について「存じ上げていない」と答弁した。「改憲がライフワークと公言していながら驚くべきことです。改憲は正しい、だから理屈はどうでもいいという反知性主義があらわになった。『そんな学者、知らなくていいじゃないか』と擁護する声もありましたが、この人たちは最高指導者に知性を求めないヤンキー性を共有しています」

 ずいぶん辛辣(しんらつ)な見方だ。「本来、保守思想は深い知性の裏打ちが必要です。昔の自民党はリベラルから右までそろっていて、保革対立の中で保守としての知性を磨いてきた人が多かった。安倍さんも『美しい』とか『新しい』とか形容詞を並べるのではなく、知的かつ論理的に構築された国家論を語ってほしい」


毎日新聞 7/22
http://mainichi.jp/feature/news/20130722dde012010017000c2.html

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政治家がヤンキー化しているなら、
それを選ぶ「国民」もヤンキー化している、
と見るのが自然ですね。


個人的に思うことは、
「今が良ければいいんだよ」という態度を僕は嫌悪する、
ということです。品がなさすぎる。
言い方を換えれば「自分さえ良ければいいんだよ」になります。
忘れてはいけないのは、「未来」は、「未来」の人=子供や孫や子孫にとって「今」になるということです。
自分の「今」を重視するということは、「未来」の人の「今」を軽視する
ということです。


一昨日、昨日と選挙結果や報道にぐったりし続けています。
「今」を重視することが、「民意」として善とされた結果に対して、
その意識がはびこる世の中がスタートすることに対して、
ぐったりしています。
「今」を重視する世の中では、「未来」に対する考察は軽視されます。
その軽視は組織的に採用され、益々「今」を求める空気が強くなることを僕は想像します。
それは「未来」を考察する能力が軽視されることも意味します。
軽視される能力は、意識の面でも、環境の面でも鍛えることが困難になります。
「未来」を考察できる人が減って行くのかもしれません。
「未来」を考えることよりも、「今」を感じることを善とする世の中。
せわしなさそうです。


「今」を求め過ぎた結果の惨憺たる「未来」。
そうならないためにも「未来」の考察を怠らないようにしたいと思います。
そしてそんな思考を持った人を増やして行きたいです。
「未来」の人への些細な贈り物として。


僕が総括をする必要もないのですが(笑)、
一区切りすることでぐったり感が和らぐかと思い書いてみました。