「存在」を信じることで

6月30日(日)の東京新聞に興味深い記事がありました。


「立候補予定者アンケート詳報」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/senkyo/sanin2013/all/CK2013063002000236.html


7月21日投開票の参議院議員選挙に立候補予定者への様々な項目についてのアンケートです。
共同通信社が実施したもののようです。


その中に当然「原発政策」についてもあります。
原発政策についての質問では、


1、 直ちに原発をやめる
2、 できるだけ速やかに原発をやめる
3、 依存度を減らし将来的にはゼロ
4、 依存度は減らすが将来的にも残す
5、 震災前の原発数や依存度を維持
6、 その他/無回答


が選択肢になっています。
この項目の自民党参院選立候補予定者の回答が興味深いものになっています。


1、 直ちに原発をやめる        0%
2、 できるだけ速やかに原発をやめる  1.4%
3、 依存度を減らし将来的にはゼロ 34.3%
4、 依存度は減らすが将来的にも残す 31.4%
5、 震災前の原発数や依存度を維持 1.4%
6、 その他/無回答     31.4%


となっています。
1〜3を脱原発、4〜5を原発推進と分けるとすると、
脱原発:35.7%  原発推進:32.8%
となんと脱原発の方が多いのです。
原発商売にも勤しむ安倍氏のもと、原発大推進に舵を切った自民党の候補者のうち、脱原発支持の方が多いというのは正直意外でした。
ただ注意しないといけないことは、
6、その他/無回答が31.4%もいることです。
この人たちは、イメージを考慮して原発推進とは言わないけど、
選挙後は声高々と「原発推進!」と叫ぶ類いの人たちかもしません。
それでも脱原発と言っている人が、35.7%いることには変わりありません。
このうち何人が当選して、実際に国会議員になるのかは分かりません。
ただこのような状況から、現職の自民党議員の中にも「脱原発」を考えている人もけっこういるんじゃないか、と想像するのはいささか甘いでしょうか。



今の安倍氏やその愉快な仲間たちの中に「対話」をできる人が見当たりません。
自分の意見を言うばかりで人の話を聞くことができない人が揃っている印象です。
人の話を聞いたら負けとでも思っているかのような人ばかりです。



1ヶ月半程前に「9条どうでしょう」というイベントにいきました。
『9条どうでしょう』という2006年に出版された本の著者4人(内田樹さん、小田嶋隆さん、町田智浩さん、平川克美さん)によるトークショーでした。
書名の「9条」は、日本国憲法9条のことです。
そこで小田嶋さんが興味深いことをおっしゃっていました。
民主党の罪は様々あるけど、一番の罪は自民党の質を下劣なものにしたことだ」
といった内容でした。(原文のままではありません)
思わず「なるほど!」と思ってしまいました。
自民党の野党時代を、現在の自民党の状況から想像してみます。
現在の自民党についての僕の見立てですが、
上記のとおりで「対話をすることができない人が目立つ集団」です。
それは問題ではなくあくまで結果であり、それに対する原因があるはずです。
その原因を野党時代に求めるとしたら、その3年3ヶ月の間に何があったのでしょうか。
結果が「対話をすることができない人が目立つ集団」であるなら、
原因として「対話をすることができない人が優位に立てる状況」があったはずです。


「対話をすることができない人」とは一体どんな人でしょうか?


・ 人の話を聞くことができない。
・ 人の話を聞く意思がない。
・ 相手を自分の意見に屈服させることを常に意図する。
・ 自分と違う意見に配慮することができない。
・ 違う意見を持つ人との話は常に勝ちか負けかのどちらかと思っている。


ざっと考えてもすらすら出てきます。
要は「人の意見を聞かずに、自分の意見ばかりに固執し、ねじ伏せようとする人」ですね(笑)。
自民党の3年3ヶ月の野党時代、こういう人が優位にたてる状況があったのではないでしょうか。
ちょっと想像してみると、何となくわかるような気がします。


「対話をすることができない人」は、声が大きいものです。
相手を屈服させることが目的の一つであるわけですから、
声の大きさもその道具として使うのは当然です。
(感情が昂るというのもあるでしょうが笑)
対して、「対話ができる人」は、声が穏やかなものです。
人の話を聞こうと思っている人は、相手の人が話しやすい状況を作ることも当然考えます。その一つに声の響きもカウントするのは自然なことです。
大きな声で怒鳴ってくるような人とまともに話をできると思う人は、
そうはいないでしょう。
「対話ができる人」の声、態度は自然と穏やかなものになるはずです。
そしてその穏やかさは、話の内容にも当然通じるものです。


2009年の衆議院議員選挙で大敗を喫して
自民党は野党になったわけですが、政権奪取を目指す自民党
次のステップを踏む時、どのような種類の人が主導権を握ったのでしょうか?
政権奪取をしようとするわけですから、
与党との対決姿勢を強めるのは自然な流れだと思います。
ただ政党として、政権奪取を目的としながらも、
政治を行うにあたり対話姿勢はどうしても必要になります。
要はそのバランスだと思うのですが、
野党時代の自民党は、あまりの大敗と馴れない野党での状況に
ショックと悔しさと惨めさなど負の要素を全身に浴びることで、
バランスを無視した対決姿勢の方に振り切れてしまった、
のではないでしょうか。
対決姿勢とは、文字通り対決する姿勢なわけです。
相手を屈服させることを意図した姿勢です。
つまりは「対話をすることができない人」が得意とする姿勢です。
対決姿勢にでよう、という時に、必要なものは大きな声と相手をくっぷくさせる意思と相手に利を与えない対応です。
その逆の穏やかな人は邪魔になります。
「突撃〜〜!」と言っている中、「まあまあ、ちょっと話合いで解決しようじゃないか」という穏やかさは、敵以上に憎む「抵抗勢力」ともうつるかもしれません。
ジワジワ「対話をすることができない人」が勢力を伸ばす中、
「対話をすることができる人」は角に追いやられていったのではないでしょうか。攻勢をかける時に邪魔者扱いされて。
そして、気付いた時には「対話をすることができない人」ばかりが党の中央を占めていたと。


荒唐無稽な作り話のように思われるかもしれませんが、
現在の自民党の状況から逆算したものなので、
僕はけっこう当たっているのではないかと思っています。
小田嶋さんがおっしゃった
自民党の質が下劣なものになった」
というのはこのことなのではないかと思います。
つまりは、「対話をすることができる人」が追いやられ、
「対話をすることができない人」ばかりが幅を利かせる状態になった、と。


よく聞くことですが、
以前の自民党には、いわゆるタカ派がいる一方、ハト派も他方にはしっかりいた、と。
そのバランスが自民党の強みだったと言われていますが、
今はそのバランスが崩壊してしまい、まるでタカ派しかいないかのような状況に一見思えます。
メディアの論調も、取り上げられるニュース内容も、人の話も
そんなことは前提として扱っているように感じます。
僕もそんな風に感じていました。
というより、冒頭にあげた東京新聞の記事を読んで、
そんな風に感じていた自分にハッと気付きました。
確かに、現在「対話をすることができない人」が中央にでーんと居座って、
自民党内で力を持っているのは確かだと思います。
しかし、数は少ないかもしれないけど、現在力を持っていないかもしれないけど、「対話をすることができる人」も確かに自民党内にいるのではないか、
東京新聞の記事に気付かされました。
あくまでその「可能性」にですが(笑)。
自民党といえども、同じ意見のみで出来上がっているのではない、
多様な意見があるはず。
その多様な意見の存在を信じることで、「対話をすることができる人」の存在の影を幽かにみることが出来るような気がするのです。
たちどころにその「対話をすることができる人」と何かができるわけではありません。
「対話をすることができない人」が60%ほどの支持率を得ている時です。
今は隠れている状態でしょう。
ただ「対話をすることができる人」の存在の影を感じる意識をもつことで、
「対話」という方法でものごとを進めることができる時がくるかもしれません。
その存在を意識しない状態では、いつまでたっても自民党は「対話をすることができない人」の集団のままかもしれません。
「対話をすることができる人」が出現するためには、
その存在を信じる者の存在もまた必要な気がします。


9条どうでしょう (ちくま文庫)

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