雪の日にみる「適切」


2月6日(水)に雪が降りました。
ただ事前の報道での予測よりも雪の量は少なかったようです。
1月の大雪がまだ記憶に新しい中での再度の降雪ともなれば、
何だか数字以上に不安や心配など込みの警戒をしてしまうものですね。
車で通勤する身としては、気が気ではありませんでした。
1月くらいの大雪だったら休もう、とも思っていたので、
6日の朝に見た外の景色は何だか微妙でした。
「これは行かなきゃいけない量だな。。。」と、
実は休む気が優勢だった心には複雑なものがありました(笑)。


東京の方では電車の間引き運行がされて大変だったようですね。
東京に住まない者にとってはテレビやラジオなどでその様子を知るわけですが、
さぞかし混乱したことだろうと思います。
以前僕も、雪だったかなんだったかは忘れましたが、
東京でそんな経験をしました。
イライラしたのを覚えています。
改札にすら入れない状況、遅々として進まない電車の列、乗ったはいいけど減速運転をしているのろのろ電車。
イライラの原因は至る所にあります。ましてや急いでいる時にはそれが何倍にも増幅されて。
6日の電車に関する報道を見聞きし、そんなことを思い出しました。


そんな恐らく巷に漂う思いを反映させていたのでしょうか、
6日当日に毎朝聴いているAMラジオ番組で
「まだ雪も降っていないのに、30%の間引き運転とはいかがなものか。お役所仕事すぎないか」
とパーソナリティーの方がおっしゃっていました。
確かに、その時間、朝7時頃だったと思いますが、都心には雪が降っていなかったようです。多摩地方とか、東京の端っこの方でぼつぼつ降り出したくらいで。
「雨やみぞれの状態で、前日から決定された間引き運転をしているから、駅には人が溢れていて、多くの人に迷惑をかけている」
といった主旨の発言内容で、「しっかりしろよ」を含ませたものでした。
確かに雪も降っていないのに、いつもの70%しか電車が走っていない、そのために駅で延々待たされる、
という状況は、現場にいない僕でもイライラを容易に想像できました。
現場にいたら不機嫌そのものになっていたかもしれません。
なので、パーソナリティーの方のおっしゃっていたことには同意できます。
何一つ間違えたことはなく、おっしゃっていたことは「正しい」ことだと思います。
「駅で待つことも、人ごみの中にいさせられることも、いつもより通勤通学に時間がかかってしまうこともない方がいい」
「雪が降っていないんだから、予定を変更して通常運転にしろ」
ごもっともなことです。
それでもなお僕は思います。
「半日くらいいいじゃん」
と。半日、というより、通勤通学なら1回です。
イライラはするけど、それとは別に「ま、いいや、1回くらい」と思ってしまいます。


パーソナリティーの方は「適切」という言葉を使われていました。
JR東日本の対応は、「適切」ではない、と。
この場面での「適切」とは、
「雪が降っていないのだから通常運転であるべき。雪が降ったらその時点ですぐに間引き運転に。利用者への迷惑は最小限にするべき」
ということだったと思います。
確かにそれはベストだと思います。望ましいことです。
ただ、その「適切」は、それを満たしてないと、利用者に致命的な迷惑がかかる条件だったのか、と考えると、必ずしもそうではないと僕は思います。
人それぞれに感じ方はあるかと思いますが、
間引き運転は事前に分かっていたことであり、また世間一様に雪の影響は了解されていることでもあり、それで多大な取り返しのつかないような迷惑をこうむった人は、実はそれほど多くはなかったのではないか、
と想像します。
その意味でJR東日本の対応は「適切」だったのではないかと僕は思います。
事故が起こらなく、半日で通常運行に戻ったことで「適切」としてみるのはどうでしょか。



「適切」に幅を持たせる、ということをたびたび考えます。


辞書で「適切」をひいてみます。


てき‐せつ【適切】
[名・形動]状況・目的などにぴったり当てはまること。その場や物事にふさわしいこと。また、そのさま。「―に判断する」「―な表現」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/151026/m0u/


とのことです。
この意味からすると、「適切」に幅を持たせる、というのは間違えているのかもしれません。
ぴったり当てはまること、となると、幅というより点の方がふさわしい気もします。
それでも僕は「適切」に幅を持たせたいです。
「まあ、これくらいならいいよね」という幅をこの言葉の意味に与えたいです。
なぜなら、その方が「適切」をより本来的な意味の「適切」に近づけることができるのではないかと思うからです。


今回の雪の件で矢面に立たされたJR東日本という会社は、日本でも有数の「適切」を日々多くの人から求められる会社だと思います。
それは「適切に対応しろ」という言葉だけではなく、
「どうなってるんだよ!」「いい加減にしろ!」「遅れたらどうしてくれるんだ!」などなどクレームとして届けられる言葉も含まれます。
日々クレームをぶつけられる会社です。
そのような言葉を放つ人たちにその理由を尋ねるとすると、
「イライラしたから」「ムカついたから」という直接的な答えよりも、
「今後はこのようなことがないように注意、意見した」と今後の業務向上のため、と答える人の方が多いのではないかと思います。
感情の面の方が強いことを自覚しつつ、それを隠すためかもしれませんが、
実際にそれほど意識せずにでも本気でそう思っているのではないでしょうか。
過度に「適切」を求める人たちは、「注意すれば今後同じ間違いはしない」という考えなのかもしれませんが、僕は「本当かな??」と思ってしまいます。


過度に「適切」を求める、をここでは、
「ベストな状態・対応を求める」
という意味で使っていますが、それが実行される際の言葉は、
とても強くなる傾向があります。
「まあ、気をつけてね」といったような軽いものではなく、
「なぜできないんだ? こうにすべきなんじゃないのか?」といった詰問系の重い感じに往々にしてなります。
ベストな状態・対応になる、ということはとても難しいことなので、
過度に「適切」を求める人たちの傾向として、その難しいことを求めるには、
「それ相応の言葉の強さが必要になる」という方向に考えが向くのはなんとなくわかります。
「注意すれば今後同じ間違いはしない」という考え方の延長線上にある、と思うからです。
「きつい言葉で、感じで言えばその分だけ同じ間違いはせずに、さらにより良くするために動くだろう」という流れで。
しかし、僕の経験則から、さらには世の中の実際の出来事を見てみると、それは事実なのか極めて疑わしいという印象があります。
むしろ逆効果になるような気がしてなりません。
「適切」を求める、ということは、それ自体、上⇒下にむかってなされることです。物を言う方向が一方的な状態の際になされます。
過度に「適切」を求める、になれば、その状況はよりタイトになります。
言葉が強くなり、態度が横柄になる、過度に「適切」を求める姿勢に対し、
求められる側の人、組織は、それこそ‘適切’に対応するでしょうか。
それをするのが仕事、なのかもしれませんが、
嫌な奴に対してその人の利益になるようなことを、
誠心誠意対応できるのかなあ、なんて思ってしまいます。
その結果、再度さらなる過度な「適切」を求められ、
嫌々対応して「適切」な状態にできずに、さらに、、、、と悪循環に
陥ってしまうのではないかと、いささか飛躍させて思ってしまいます。
結果的に、過度な「適切」を求めれば求める程、
「適切」から遠いところに行ってしまう状況が生まれるのではないでしょうか。
重要なことは、過度に「適切」を求めること、つまりは、「適切」を「これしかない」という点として見るのではなく、「これなら問題ないよね」という幅のあるものとして見ることなのではないかと僕は考えます。


「適切」を切実に求めるなら、過度に「適切」を求めない。
実はそれが最も効果的なのではないか、と思います。
「適切」に幅を。