選挙雑記2 〜或る友人への書簡

5、日本人が欲望したこと



 今回の選挙結果、自民党公明党あわせて325議席という圧勝劇(それは前々回、前回の自民党民主党の圧勝惨敗の結果も含めて)は何かに似ています。それは、内閣支持率低下による内閣解散です。

 結論から言いますと、その二つに共通していることは「国民の手で政治を動かしているという実感」です。


 僕の見方では、日本人には「自分たちで政治を動かすことができる」という考えは希薄です。「お上のやることにはさからねえ」から「デモやってもどうせ変わらないでしょ」まで、その内容の違いこそあれ、‘無力感’は日本社会には当然のように存在していると感じています。ただ、その‘無力感’に日本人は馴れているけど、決して好んでいるわけでもない、ということを、ここ3回の選挙と小泉氏以降の歴代内閣の交代の仕方で、僕は感じました。日本人が‘無力感’を忘れられる方法を見つけた、といってもいいかもしれません。普段は‘無力感’に覆われているけど、それを一瞬であっても忘れられるもの、それが選挙であり、内閣支持率低下による内閣解散なのではないではないか。

 ここ3回の選挙に関して、どのように日本人は‘無力感’を忘れることはできたのか。それは選挙結果自体をスペクタクルなものにすることによってです。圧勝、惨敗という勝ち負けが分かり易い結果にすることでです。もちろん組織的に選挙民が連帯しているわけではありません。あくまで個人ベースの欲求によってです。公約やその時の各党の状況などを理知的に判断して投票をしている、ということは事実でしょうが、もう一方の事実として、「政治を自分たちの手で動かしたい」という、もしかしたら自分ですら意識していない欲求も投票を決定する要因になっているのではないか、と僕は踏んでいます。選挙前の事前の「風」をメディアなどで見聞きし、感じ、「自分の欲求を満たすことができ る=政治を動かす実感を得る=スペクタクルな結果が出ること」を願って、投票先を決定しているのではないでしょうか。


 今回の選挙を含めたここ3回のあまりの両極端な結果の要因を考えた時、理知的な要素のみで投票先が選ばれているとは、僕には思えないのです。思いたくない、というのもあります。なぜなら、両極端な結果の選挙は何だか愚かしいからです。日本人が愚かしくあってほしくないからです。だから、「日本人は愚かしい」ということを抜きにして、選挙結果を考えた時、理知的ではない部分が介在しているのではないかと帰結するのは当然かもしれません。その理知的でない部分が「政治を動かす実感を得る」という(恐らく)隠れた欲求なわけです。


 何だかオカルトチックな、それこそ理知的な考えではないのは重々承知していますが、自分の中では結構本当のことなのではないか、と実は思っています。この考えを思い立ったのは、小泉氏以降に続く6代の内閣の倒れ方を見てです。

 小泉氏以降6代の内閣は、約1年くらいで終わっています。彼らに能力がなかったから、と言ってしまえばそれまでですが、不思議と終わり方、というか終わりへの行程は似ているように思えます。簡単に言ってしまえば、内閣支持率50〜70%の高い数字ではじまったが、1年後には10〜20%代になってしまい、内閣解散に至る、という道です。「期待通りに働かない」「失政した」んだからそれも当然でしょ、という理知的な言葉に僕も頷くことは否定しません。(ちなみに野田内閣の尖閣諸島国有化は歴史に残る大失政ですね)ただ、6代もの内閣、期間にすれば約6年の間、なぜ全てが同じ道を辿ったのかが不思議といえば不思議です。前の内閣はダメだったから今回は様子を見よう、という感じで、支持率40%から始まる内閣があってもおかしくなかったのに、全てが全て50%以上という高い支持率からはじまっていました。この場面での、様子を見る、というのは理知的な頭の働きだと思います。前の内閣の在り方を見ての判断ですから。しかしそれが発揮された形跡が見られないとなると、やはりここでも理知的以外のものが作用したのではないか、と僕は推測します。
それは

「日本人は、最初に高い支持率を与えて、それを段々落とし、さらには落とし切って内閣を解散させることを欲望したのではないか」

という推測です。
言葉を換えれば「自分たちで政治を動かす実感を得る」ことを、支持率を降下させ、内閣を倒すという一連の流れで実践していたのではないか、とうことです。
これも(恐らく)自分では気付いていない欲求だと推測します。麻生氏あたりで気付いているかもですが(笑)。

 この「内閣支持⇒不支持での倒閣」の流れをぼんやりと考えていた頭で、今回の選挙を含む3つの選挙を見た時、そこには何だか同じ空気を感じました。それをつらつら書いてみましたが、まあ、事実かどうかは知りません(笑)。
今回の選挙をみて、思ったことの一つです。


 ちなみに、なぜ小泉氏があそこまで支持率を獲得し、それを維持し得たのかと言えば、それも日本人の「自分たちで政治を動かす実感を得る」ことに通じるのではないかと思います。
 小泉氏は、政治家の世界の因習によって選ばれた総理大臣ではありませんでした。日本人が選んだ総理大臣だったのです。正確にいえば、そういう‘幻想’によって選ばれた総理大臣だったのです。小泉氏が総理大臣になることが「自分たちで政治を動かす実感を得る」ことであり、小泉氏を支持することが「自分たちで政治を動かす実感を得る」ことであり、小泉氏の改革を支持することが「自分たちで政治を動かす実感を得る」だったのではないでしょうか。
僕の想像でしかありませんが(笑)。