日本ハムのダルビッシュ有投手がメジャー視野報道に苦言「非常に残念」

日本ハムダルビッシュ有投手がメジャー視野報道に苦言「非常に残念」。
http://www.narinari.com/Nd/20100313320.html


>日本ハムダルビッシュ有投手が、公式ブログの3月30日付けエントリーで“某スポーツ紙”に苦言を呈している。


スポニチですね。
他の新聞には一切でてなかったんで、
「やりやがったな」的な記事だと思ってたんですけど、
それが嘘か本当かという問題じゃなく、
この記事の言葉が人々の前に出たことで、
何かしらの状況が生まれてくるのは間違いないのでは、と思います。


例えば、
ファンが「来年はもういないのか。残念だ」と応援に身が入らない、とか、
チームメイトが「チームを離れるののかあ」と援護の気持ちが起きないとか、
メジャー関係者が「よっしゃ、視察、視察。毎試合視察」と頑張りだすとか。
もちろん、逆に「来年いないから応援しよう!」もあるだろうし。


その内容はどうでもいいのですが、
いずれにせよ、嘘か本当かが全く関係ない言葉によって、
ある状況が生まれる、ということは非常に重要なことのように思います。
その状況がダルビッシュさんにどんな影響を与えて、
例えば「メジャーに行きたい」と思わせるのか
「日本に絶対残りたい」と思わせるのか、
それはまったくわかりませんが、
言葉によって生まれた状況が何かしらの影響を
ダルビッシュさんに与えるのは間違いないと思います。


返す返す、嘘か本当か、とは次元が違うところで、
言葉は発せられた途端に状況を生む力があるのではと思います。


脈絡もなく、急に知らない人に「あなた今日死にますよ」
と言われた時、それを本気で心配する人はそんなにいないとは思いますが、
それでも頭のどっかにその言葉が残って、
「歩道の内側を歩こう」とか「信号を守ろう」とか
「電車で前の車両はやめとこう」とか、
何かしらのささいな安全な行動を考えるのではないか、と想像します。
少なくとも僕はそういうことをします。
何か気になるので。
この時、僕は「あなた今日死にますよ」の言葉に縛られた、
と言えるかもしれません。
それが嘘か本当かではなく、その言葉自体に行動を規制されるわけですから。


恐らく、昔の人はこの言葉の力を
「言霊」と表現したのではないか、
と想像するのですが、
そう考えると現代にも「言霊」はしっかり存在するのだなあ、
と思う次第です。
ただその「言霊」も最近は負のパワーによって、
現実社会に証明されているような機会が圧倒的に多いかと思われます。
テレビでニュースを見てても、街を歩いてても、
電車の中吊りを見ても、そこら中に「死ね」「殺せ」「ムカツク」「ウザイ」の言葉から、
悪質な偽情報だったり、人を陥れる情報、批判的すぎる言葉の数々。
それらのものを聞いた、見た人に良い影響を与えることが
皆無だと思う僕は、それら一連のものを負の「言霊」と認識しています。
そして、それら負の「言霊」を「呪い」というのではないでしょうか。
魑魅魍魎が跋扈したと言われる平安時代よりも、
ずっとずっと現代の方が「呪いの時代」なのでは、と思ってしまいます。
溢れる人に、言葉に、情報に。


もちろん正の「言霊」もあるわけで、
「ありがとう」「大丈夫?」「風邪引かないでね」「君のことが好きだよ」
などなど、言われた人の心が温和になり、
その後の行動に弾みをつけるような言葉は本当に素敵だと思います。


「死ね」も「殺せ」も「ありがとう」も「大丈夫?」も
その言葉自体、文字として、音声として何の力ももってないけど、
それを言った人、言われた人のその言葉以降の行動には
確実に影響を与えるものと思われます。
言葉には人を操る力がある、と言わざるを得ません。


正の「言霊」の支配下に浴する、
小さくてもいい、コミュニティをたくさんの人が創っていく社会が
きっと住みやすい、安全な、快適な社会なんじゃないかな、
と勝手に思っています。


ダルビッシュさんと関係のない話になってしまいました(笑)。