食べ物が残ること

さきほど「宇宙船地球号」を見た。
「フードバンクの挑戦!!日本もったいない事情食品の大量廃棄に喝!!米国人密着」という副題だった。
内容は、日々至るところで廃棄されている食品をいかに多いかということ、そしてその二次使用の方法についてというものだった。主なところは、賞味期限が切れたり、流通の段階で不備があり廃棄にまわされたりする食品を、孤児院やホームレスの方々などに無償で届けるNPO団体を運営するアメリカ人の方の話だった。

市場性を失った食品を無償で困っている人たちに届ける制度を「フードバンク」というらしい。これはアメリカではすでに40年前より認知されている制度とのことだ。なぜにアメリカでそれほど早くこの制度があり、日本ではなかったのかを考えることはとても興味深いところではあるが、これはまたの機会に。(日本で始まった、といってもそれはアメリカ人の方が主宰している事実から、日本ではまだない、といった方がいいかも)

もう一つの主な内容として、コンビニの賞味期限切れのお弁当や惣菜などが養豚のエサとして与えられているというものだった。そのエサで育ったブタの試食会の模様が紹介されていた。ミニストップが施策として始めており、今後もより効率的に進めていくようだ。

これらの話のキモは廃棄されるはずで残った食品をいかに二次使用するか、というところにある。本来捨てられるべきだったものが、それを必要としている人々の元へ届く、または新たな食料を生産するために使用されるということは実に素晴らしい。フードバンク制度もミニストップの試みも効果的なものになって欲しいと思う。

ただ、一つ思うことは「廃棄されるはずの食品」をそもそも減らすことの方により目を向けなくてはならないのではないだろうか、ということだ。「宇宙船地球号」によると、コンビニの1日の廃棄食品量は720トンとのことである。学校給食でも1トンの食べ残しがあるようだ。なんとなくそれぞれキロ単位にしてみると、720,000キロと1,000キロ。よりすごく感じる。この量が毎日廃棄されていると考えるとゾッとする。そしてなぜにそんなに廃棄量が多いのかと単純な疑問が頭に浮かんでくる。その答えも、その疑問が単純なように、おそらく単純なものだ。すなわち、食品を作りすぎている、ということ。単純だ。

作りすぎるということは企業として明らかなマイナスである。自治体でももちろん同様である。供給過多ということなのだから。そこをしっかり管理することは、企業、自治体にとってコスト削減という極めて高い効果をもたらすことは間違いない。

二次使用ができるから、というエクスキューズで作りすぎの現状を無視してほしくない。まずは作りすぎの現状を是正すべきだと思う。確かに作りすぎによって成り立っている経済も存在するが、それは健全な経済ではない。ここでいう不健全とは、本来なら見直される対象であるために磐石の地盤を持てない不安定な状態をいう。無駄になるものの上に成り立つ経済がいつまでも存続するほどお気楽な社会はすでになくなりつつあるが、今後よりその傾向は強くなるだろう。そんなものを面倒みれるような余裕がなくなっていくだろうから。そこから鑑みると、経済の面から作りすぎはそのうち是正されことになるだろうが、なるべく早くその無駄に気付いて是正されることに越したことはない。