安倍氏、米議会演説について思うこと〜その2


ポエムの代償


安倍氏演説全文 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150430/k10010065271000.html



4月29日に行われた安倍氏アメリカ議会演説の感想を問われた内田樹氏は、「ポエムのようだった」という言葉でそれを評していました。



ポエム。
単純に日本語に訳せば「詩」ですが、ここで使われているそれはここ10年ほどで新たな意味を付されたものです。コラムニストの小田嶋隆氏はポエムについてこのように語っています。

私がおおざっぱに分けているのは、鑑賞される作品として作られて、作品として読まれているものは、出来不出来はともかく、詩です。一方、本当は詩ではないものを書くはずだったのに、舌ったらずで、文章の技巧がなくて、結果的に生まれてしまったものは、ポエムだと思います。
それと、何かをごまかすために意図的にぼかした文章もポエムです。たとえば、女の子のグラビアの横についている惹句。あれは黙って見ているのも妙だから、とりあえず何か文を入れておこう、みたいなことですよね。横にまじめで硬い文が載っていると、興奮が冷めてしまう。水着グラビアをウハウハ見ている読者が、そんな自分を直視しなくて済むような現実離れした文が必要なのです。


「日本のポエム化は中田英寿から始まった!」東洋経済ONLINE
http://toyokeizai.net/articles/-/38824?page=3


「詩」と「ポエム」の違いを明確にしています。「ポエム」の具体的な例として、元サッカー選手の中田英寿氏の引退メッセージや東京五輪オリンピック招致委員会のキャッチフレーズなどを上げています。

中田英寿氏引退メッセージ


俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。
(中略)
サッカーはどんなときも俺の心の中にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

東京五輪オリンピック招致委員会のキャッチフレーズ


今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。
オリンピック・パラリンピックは夢をくれる。
夢は力をくれる。
力は未来をつくる。
私たちには今、この力が必要だ。
ひとつになるために。
強くなるために。
ニッポンの強さを世界に伝えよう。
それが世界の勇気になるはずだから。
さあ、2020年オリンピック・パラリンピックをニッポンで!


何かを語っているようで、何も語っていない文章。具体性がなく、雰囲気を重視する文章。
小田嶋氏の言葉を換言すればこのような表現もアリかと思います。
要は、「ふんわり」した文章をポエムというわけです。(相田みつお的文章ですね)
内田樹氏が使った安倍氏の演説に対する「ポエム」も小田嶋隆氏によって指摘された意味と思っていいでしょう。(内田樹氏と小田嶋隆氏は交流も盛んですし)



安倍氏の演説は、何かを語っているようで何も語っておらず、具体性がなく雰囲気を重視し、「ふんわり」していた。


安倍氏の演説は果たして「ポエム」だったのでしょうか?
ここで一文を引用したいと思います。
2012年5月9日に米議会で行われた朴槿恵韓国大統領の演説です。長いのですが、全文引用します。

朴大統領米国議会演説<全文>

尊敬するバイナー議員(下院議長)、バイデン副大統領、下院議員の皆さん、そして内外貴賓の皆様、自由と民主主義を象徴する米国議会議事堂において韓国と米国の友情と将来について演説する機会を持たせていただいたことを非常に嬉しく思います。


先日、私はワシントンに到着し、ポトマック川に造成された朝鮮(韓国)戦争記念公園を訪れました。
『知らざる国、会ったことのない人々』を守らねばならないという国の呼びかけに応じていただいた米国の息子、娘らに対し、そして米国に対して敬意を表する。
韓国戦争参戦記念碑に刻まれているこの碑文は毎回訪れるたびに深い感銘を与えてくれます。
自由と民主主義という、人類普遍の価値を守るために血と汗と涙を捧げた退役軍人の皆様に対し、大韓民国の国民を代表して深く感謝いたします。
この席を共にしていただいている退役軍人の皆様、ジョン・コンヤーズ議員、チャールズ·ランゲル議員、サム·ジョンソン上院議員、ハワードコブ議員に対しても心より感謝の言葉を申し上げます。
1953年、6.25戦争の銃声が止まった時点で、1人当たりの国民所得67ドルという世界最貧国だった韓国は現在、世界5位の自動車生産国であり、貿易規模世界第8位の国へと成長しました。
世界の人々はこのような大韓民国の歴史を "漢江の奇跡"と呼んでいます。
しかし、大韓民国の国民は、これを奇跡だとは思ってはいません。
その成就の歴史を造り出すため、韓国人はドイツの鉱山やベトナムのジャングルで、あるいは熱砂の中東の砂漠で多くの汗を流し、渾身の力を尽くしてきました。
私は今日の大韓民国を造りあげた大韓民国の国民を尊敬し、その国民の大統領となったことを誇りに思っております。
そして誇らしい国民と共に、経済復興と国民幸福、文化隆盛、平和統一基盤の構築という4大国政基調をもって、新たな「第2の漢江の奇跡」を実現していきます。


私たちがここに至るまでには、助けてくれた良き友人たちがいました。
特に米国は、最も近くにいた良き友人でした。
私は米国の友情に深く感謝し、この貴重な歴史を共有してきた韓国と米国が今後造っていく新たな歴史に期待しています。
その土台となってきた韓米同盟が今年で60周年となりました。
今日、私は皆さんに韓米同盟の60年を物語るある家族について紹介したいと思います。
デビッド·モーガン中佐の父親であるジョン·モーガン氏についてです。
モーガン中佐の祖父である故ウォーレン·モーガン氏は6.25戦争に参戦し、海軍予備軍司令官として活躍されました。
父ジョン·モーガン氏は、米213野戦砲兵中隊長として6.25戦争に参戦しました。
モーガン中佐もまた、1992年と2005年の二度にわたって在韓米軍で働いていました。
3世代が共に韓国の安保を守ったモーガン一族は、韓米同盟60年の生き証人です。
私は大韓民国の大統領として、モーガン一族をはじめとする米国人の献身と友情に感謝の拍手を送ります。
今、私たちの大切な韓米同盟は、より明るい世界、より良い未来に向かって進んでいます。
共同の価値と信頼を土台とし、世界各地で協力のレンガを積み上げています。
イラクで、そしてアフガニスタンで韓国は米国と共に平和の定着と復興の任務を遂行してきました。
2010年の米国に続いて2012年にソウルで第2次核安保首脳会議を開催し、「核兵器なき世界」を実現しようという意志とビジョンを確認しました。
オバマ大統領の「核兵器なき世界」というビジョンは、朝鮮半島から始めなければならないことです。
世界唯一の分断国家であり、核兵器の直接的脅威にさらされている朝鮮半島こそが核兵器なき世界を構築するモデル地域となり得るのであり、ここで成功すれば、核兵器なき世界を構築することができます。
韓国は確固たる不拡散原則の下で原子力の平和的利用を追い求めています。
韓国と米国は世界の原子力市場に共同で進出しており、今後、先進的互恵的に韓米原子力協定の改正を行うことで両国の原子力産業に大きく役立つことでしょう。


私たちのこのようなパートナーシップは、開発協力の分野にまで拡大しています。
奉仕団規模で世界1位の米国と韓国が肩を並べ、発展途上国の発展を支援するために努めていきます。
2011年にKOICAとUSAIDが協力覚書を締結したのに続き、Peace CorpsとKOICAが協力覚書を締結します。
昨年3月に発効した米韓FTAは、韓米同盟を経済まで含めた包括的戦略同盟に発展させるきっかけとなりました。
これに加えて現在、米議会で審議中の韓国に対する専門職ビザ割り当て関連法案が可決されれば、両国の雇用創出にも大きく寄与することとなり、FTAによって両国国民が実質的な利益を得ることを体感する良いきっかけになるでしょう。
米議会の積極的な関心と支援をお願いします。


また、韓米FTAは東アジアと北米を結ぶ架け橋として、アジア太平洋が一つの市場として発展していくことのできる重要な機会を提供しており、米国のアジアにおける再均衡政策の重要な軸となっています。
このように、韓米同盟は21世紀における包括的戦略同盟へと進化しています。
尊敬する下院議員の皆さん、そして内外貴賓の皆様。今、私は韓国と米国が創り上げていく私たちの未来(Our Future Together)についてお話しさせていただきます。
私は昨日オバマ大統領と首脳会談を行い、韓米同盟60周年記念共同宣言を採択しました。
過去60年間で成し遂げてきた偉大な成果をもとに、朝鮮半島の平和と東北アジアの協力、さらには全世界の繁栄のために努力することを宣言しました。 


私は韓国とアメリカが共に造り上げていければ良いと考えている3つのビジョンと目標を持っています。
その第一は朝鮮半島の平和と統一の基盤を構築することです。
今、北朝鮮は長距離ミサイル発射と核実験などといった継続的挑発によって朝鮮半島と世界平和を揺さぶっています。
韓国政府は強力な安全保障態勢を維持し、米国をはじめとする国際社会との強固な連携を強化しつつ、冷静に対応しています。
韓国経済と金融市場も安定を維持しており、国内外の企業も投資拡大計画を相次いで発表しています。
堅固な韓米同盟を土台とし、韓国経済の強固なファンダメンタルと韓国政府の危機管理能力が維持される限り、北朝鮮の挑発は絶対に成功を収めることはできません。
私は韓半島に平和を定着させ、平和統一の基盤を構築するために「朝鮮半島信頼プロセス」を堅持していきます。
朝鮮半島信頼プロセスは北朝鮮の核を絶対に容認せず、北朝鮮の挑発には断固として対応しますが、乳幼児など、北朝鮮住民に対する人道的支援は政治状況には関係なく行っていきます。
そして、南北間の漸進的な交流と協力を通じて信頼を蓄積していくことによって、持続可能な平和を築き、平和統一の基盤を構築していきます。
しかし、韓国のことわざに『手が合わり打ててこそ、音が出る』とある通り、信頼の構築はいずれか一方による努力のみで築くことができません。
これまでは北朝鮮が挑発によって危機に陥ると、一定期間、制裁を行った後に適当に妥協し、補償するという誤った慣行が繰り返されてきました。
その間に北朝鮮の核開発能力はさらに高度化し、不確実性が続いてきました。
もはや、そのような悪循環を断ち切らねばなりません。
今、北朝鮮は核保有と経済発展の同時達成という実現不可能な目標を立てています。
北朝鮮指導部はしっかりと覚醒せねばなりません。
国の安全を確保するのは核兵器ではなく、国民生活の増進と国民の幸せです。
北朝鮮は国際社会の責任ある一員となる方向で正しい選択をする必要があります。
そして、北朝鮮が自らそのような選択を行うよう、国際社会は声を合わせて明確かつ一貫したメッセージを送らねばなりません。
そうすることで初めて南北関係も実質的に発展し、朝鮮半島と北東アジアの恒久的平和が構築され得ます。
60年前、南北間の軍事衝突を防ぐために設置された「非武装地帯(DMZ)」は現在、世界で最も重武装されている地域となりました。
半島の非武装地帯を挟んだ対峙は現在、世界平和にとって、大きな脅威となっています。
この脅威は南北だけでなく、世界と共に解くべきものであり、そうすることでDMZは世界平和に貢献する『真の』非武装地帯とならねばならないと考えます。
私は朝鮮半島の信頼プロセスを維持しつつ、DMZ内に世界平和公園を造りたいと考えています。
そこから平和と信頼が育つきっかけになってほしいと思います。
軍事境界線によって引き裂かれている韓国人だけではなく、世界の人々が平和の空間で共に出会えることを望んでいます。
その日のために、米国と世界が私たちと共にしてくれることをお願いします。


尊敬する下院議員の皆さん。韓米同盟が進む第二の旅は、北東アジア地域の平和協力体制を構築する道です。
今日においても北東アジア地域は協力の可能性を最大化できずにいます。
域内国の経済力と相互依存は日々増大しているにもかかわらず、過去の歴史による対立はますます深刻になっています。
歴史に目を閉じる者は未来を見つめることはできないと言われています。
歴史に対する正しい認識を持てないことは、今日における問題でもありますが、より大きな問題は未来がないということです。
未来のアジアにおける新たな秩序は、域内国家間の経済的相互依存の増大にもかかわらず、政治や安全保障協力では遅れている、いわゆる、『アジアパラドックス』現象を私たちがどのように管理するかによって決まります。
私は、これらの課題を克服するためのビジョンとして、北東アジアの平和協力構想を推進しようと思います。
米国を含む北東アジアの国々が環境、災害救助、原子力安全、テロ対応などの問題から対話と協力を通じて信頼を築き、徐々に他の分野へと協力の範囲を拡大していく北東アジア多国間対話プロセスを始める時が来ました。
このような構想は、韓米同盟を土台としてこの地域の平和と共同発展に寄与することができるという点で、オバマ大統領のアジア再均衡方針にも相乗効果をもたらすことができます。
ここには北朝鮮も参加することができます。
このように共同の利益になり得るところから共に頑張っていけば、より大きな問題や葛藤に対しても互恵的立場をもって解決して行けることでしょう。
私は北東アジア地域における新たな協力プロセスを構築していくために韓米両国が共に歩んでいくことと固く信じています。


韓米同盟が進むべき第三の旅は、地球村の隣人たちが平和と繁栄を享受できるように寄与することです。
私は就任演説で、韓国人、朝鮮半島、ひいては地球幸福実現を国政ビジョンとして提示しました。
アメリカ独立宣言に刻まれた幸福追求権は大韓民国憲法にも明記されています。
私は長い間、韓米同盟の究極の目標は、全人類の幸福に貢献するべきであると信じてきました。
韓米両国はこの精神の下、平和と自由守護の現場で共にしています。
テロ対応、核不拡散、国際金融危機のような地球規模の問題においても両国の協力はさらに拡大しています。
これだけではなく、韓米両国が今後も自由、人権、法の支配など、人類の普遍的価値を拡散することによって、貧困の撲滅、気候変動、環境などといった地球規模の問題に共同で対処するためにも継続して共にしていきます。
尊敬する下院議員の皆さん、そして内外貴賓の皆様。韓国とアメリカは朝鮮戦争以降、北朝鮮の脅威と挑発に対応しつつ、朝鮮半島の自由と平和を守るために共に努力してきました。
今や韓米同盟は朝鮮半島における自由と平和を守ることから一歩歩み出て、南北双方が平和で幸福な統一韓国への道を共に歩み出す時が来ました。
韓国と米国の経済協力も今一歩高め、未来志向的な段階にしていくべきです。
オバマ大統領が提示したStartup America Initiativeと韓国の創造経済国政戦略は韓国と米国の若者らが新しいアイデア、熱い情熱と挑戦によって明るい未来を切り拓くための足がかりとなっていくでしょう。
今日も韓米両国はK-POP歌手のワールドツアーで、ハリウッド映画の中で、中東の再建現場で共に駆け巡っています。
韓国と米国が共にする未来は、生活をより豊かにし、地球をより安全にし、人類をより幸せにすると確信しています。
韓米両国と地球の自由と平和、未来の希望に向かっていく友情の合唱は、過去60年間休むことなく鳴り拡がり、今後も止まることはありません。
ありがとうございました。


http://zainichisenkyo.tistory.com/471


朴槿恵韓国大統領の演説を引用した理由は、安倍氏演説(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150430/k10010065271000.html)と比較するためです。
率直な印象は、安倍氏演説は「これまで」を語り、朴槿恵氏演説は「これから」を語っている、というものです。
安倍氏は自分の体験やアメリカと日本の歴史的関係=「これまで」を語ることでアメリカを「誉め」ることに重点をおいているのに対し、朴槿恵氏は「これまで」は早々に終わらせ、現状認識から将来のこと=「これから」を語ることに重点をおいているという印象です。
どちらが良い悪いということはおいといて、「これまで」を語るものと、「これから」を語るものの決定的な違いを考えると、「それは具体性にあるのではないか?」という思いが浮かんできます。
安倍氏の演説と朴槿恵氏のそれを読み比べると、具体性の差は歴然としています。
朴槿恵氏の演説=「これから」を語るものの方が圧倒的にそれは多いです。
安倍氏の演説も確かに具体性があります。ただ、それは自分の体験や過去の日米関係においてのそれであって、具体性というより「思い出」といった方がしっくりくる代物です。
未来について語る場面もありますが、それらは、
「日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。」や、
「人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。」
など、ただの「掛け声」で一切の具体性は排除されています。
唯一具体性を示した場面は、
「この夏までに、成就させます。」
「そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。」
と重ねて強調した安保法制についてのみです。(この問題性は重大です)


それに対して、朴槿恵氏の演説は、「3つのビジョンと目標」を示すことで具体性を獲得しています。
その中でも最たるものは北朝鮮についての第一のビジョンです。北朝鮮に対するこれまで、現在、そしてこれからを語っています。
アメリカが韓国についてもっとも関心があることは、北朝鮮についてのことだと僕は想像しますが、
それにしっかり対応した場面です。その文字数1,220文字で、全文4,994文字に対して24%の分量です。(日本語訳の文字数ですが。以下文字数に関しては日本語訳のもの)
1/4を北朝鮮に関して語ったわけですが、これが意味することはこの演説が「聴衆を意識している」ということです。聴衆であるアメリカが最も知りたいこと、語ってほしいことを、多くの分量を割いて語ったということ。それは、相手に分かってほしい、知ってほしい、聞いてほしいという思いの存在を証明するものであり、前提として「相手の存在」をしっかり認識していることを証明するものです。
相手を認識するとき、人は具体性に気を配ります。具体性がなければ相手に理解してもらえませんから。
相手に分かってほしい。その思いが具体性を要請します。
そして「相手に分かってほしい」と思うとき、それは圧倒的に「これから」のことです。
これまで、現在のことは、もうすでに起きたことなので、「相手に分かってほしい」の限界を、語る本人も感じているからです。よって「これから」のことを語るときよりも具体性に気を配ることは少なくなる傾向があります。
「これから」のことを真剣に語りかけるとき、具体性はどうしても必要なものなのです。


「思い出」を語る安倍氏に具体性が必要なく、「これから」を語る朴槿恵氏がそれを必要としたことは当然のことと言えます。
言葉を換えれば、一人語りをした安倍氏には具体性は必要なく、語りかけをした朴槿恵氏はそれを必要とした、というわけです。
一人で語る分には言葉が意味をなさなくても問題ありませんしね。
「ふんわり」していても一向に構わないわけです。
そこにいる誰も知らないキャサリン・デル・フランシア夫人の話をしても気にしないし、キャロル・キングの個人的な話をしても気にしません。日本の民主主義との出会いや山羊が2,036頭を話しても気にしません。一人語りなのですから、そこにいる人が分かろうが分からなかろうが関係ありません。
だから、演説の最後を「希望」という「究極のふんわり」で締めてもなんら問題がないのです。


朴槿恵氏の演説と比較することで、安倍氏の演説は紛れもなく「ポエム」であることを感じます。
実は何も語っていなく、具体性がない「ふんわり」とした演説。
全文の42.7%を「誉め」に徹していて(前回ブログ参照 : 「安倍氏、米議会演説について思うこと〜その1」http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20150509/1431107217)、未来を語る部分も「がんばりましょう!」「見に来てください」と元気よく掛け声を出し、最後に「希望の同盟」という十人十色的な言葉で締める。
演説後にアメリカのメディアでも大したニュースにならなかった理由がよく分かります。
「一体何を言いたかったのか?」というのが率直な感想だったのではないでしょうか。
その裏には、「何も言っていない」という思いが、当然あったでしょう。
「ポエム」を相手にしても時間の無駄である。賢明な判断だと思います。



安倍氏はなぜポエム演説をしたのでしょうか?
ポエム演説から何を得ようとしたのでしょうか?
安倍氏の演説はポエムである必要があったのでしょうか?
安倍氏の演説はポエムでなければならなかったのでしょうか?
ポエム以外の選択肢はなかったのでしょうか?


安倍氏のポエム演説からは上記のような数々の疑問が浮かんできます。
アメリカが演説作成に関わったのならアメリカの意図であることが想像できます。
また、安倍氏、政府主導であったのなら、この演説そのもので何かを実際的な果実を得ることを意図しなかった、と考えられます。
そこから想像できる一つは、安倍氏の名誉心のための演説であった、ということです。


僕はこれまでそのことについて安倍氏を疑ったことはありませんでした。
オバマ大統領の政策が語られる際に、「レガシーを残したいから」という理由を耳にすることがあります。
「そうなんだ」と思うことがありますが、それを安倍氏に当てはめることはありませんでした。
それは安倍氏を信頼しているとかいうのではなく、アメリカの話だなくらいに思っていたからでした。
しかし、今回の演説を読むと「安倍氏の名誉心」を頭に入れる必要があるな、(と遅ばせながらなのでしょうか)思うようになりました。
「なぜポエム?」の疑問に対する答えを考えるとき、どうしてもそれも選択肢に入れざるを得ないのです。
むしろそれが本線ですらあります。
ポエムという意味のない一人語りをしたことを「成功」と安倍氏や周辺は受け取ったようなので、彼らにとってはポエムで良かったわけです。
演説で本気で何かを成し遂げようと思ったら、毒にも薬にもならないポエム原稿など作るはずもありません。そう考えると、「ただ日本首相で初めての米国両議会演説をしたかったから」ポエムでもよかったというのは説得力をもちます。安倍氏の名誉心がポエムを許容した。
その代償が下記のものだったら目も当てられません。


「日本にオスプレイ17機売却 社会保障費削減分に匹敵 総額3600億円
想定価格の2倍超える」しんぶん赤旗 5/8

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-08/2015050801_01_1.html


「TPP交渉「最終的な出口が見えてきた」と安倍首相」産経新聞 5/9
http://www.sankei.com/politics/news/150509/plt1505090016-n1.html


「これも訪米歓待の代償…「米軍再編関係費」1.6倍になっていた」日刊ゲンダイ 5/10
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/159649/1


演説後、連休明けにバタバタと出てきた「アメリカの国益にかなった」報道です。
これらが演説の条件だったのか。それを知る術はありませんが、このタイミングはどうなのだろう、と思ってしまいます。
他にもたくさんの条件を飲まされているのでしょうか。
まったく意味をもたらさない「思い出」語りによる名誉心のために日本が払う犠牲はいかほどなのか。
何を差し出しているのか。それを考えると暗澹たる思いが襲ってきます。