第47回衆院選からみる近未来1


1、「傾向」ではなく「実態」を


先日行われた第47回衆議院議員選挙の投票率が52.66%という数字であり、どの報道でもまずこの数字がトピックとして扱われていました。
戦後最低の数字だったわけです。
前回、平成24年衆議院議員選挙のそれが59.32%であったので、6.7%ほど低下したことになります。前回も「戦後最低」だったので、2回連続でその記録を更新したことになります。参議院議員選挙投票率もここ3回右肩下がりで落ちているので、投票率低下は日本の全体的な傾向といえそうです。



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総務省ホームページ
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/


これは前回(第46回 平成24年)までの衆議院議員選挙の年齢別投票率の推移です。
今回の選挙前も選挙後も、絶対揺るがない既成事実のような形で
「若者の投票率が低い」
と語られました。その言葉には、「全く若い者ときたら。。」といったある種の諦めとも蔑みともいえる感情もこもっているように感じられました。
それは上記の年齢別投票率の推移という結果によって一理あることであり、
さらに、まだ詳細が出ていませんが、恐らく今回の衆院選でも同様の結果が出るでしょう。
詳細の数字が出たら、改めて「若者の投票率が低い」という言葉が大々的に取り上げられると思われます。
ただこのような言葉は人の思考をそこで止めてしまう力があります。
「今回も若者の投票率が低かったんだ。全く若者には困ったものだ。。」
で選挙を総括させる力です。
レッテルも同様の力を持ちますが、その力から逃れる方法は、その言葉がどのような種類のものかしっかり認識することです。
「若者の投票率が低い」という言葉がどのような種類のものかといえば、
それは「傾向」に分類されるものです。
「若者の投票率が低い」は、あくまで「傾向」です。
若者全員が投票に行ってないわけではありません。他の世代に比べて、若者の投票率が低いという「傾向」です。
前回の衆院選を例にとれば、上記の図より


20代  投票した人:37.89% 投票しなかった人:62.11%


ということが分かります。確かに投票しなかった人の方が多いですが、投票した人もいるわけです。
それは若者でない人たち(50代以上とします)の全員が投票に行っているわけではない、ということと同様です。
同様に例をとれば、


50代   投票した人:68.02% 投票しなかった人:31.08%
60代   投票した人:74.93% 投票しなかった人:25.07%
70代以上 投票した人:63.30% 投票しなかった人:36.70%


であり、投票した人の方が多いですが、投票しなかった人もいるのが分かります。
「50代以上の人の投票率が高い」もあくまで「傾向」です。
こんなこと当然ですね。
しかし、ここをしっかり認識することは極めて重要なことだと僕は考えます。
なぜなら、それは事実をしっかり認識することであり、その認識こそが物事を正確に捉え、有効な対応策を考える基軸となるからです。
この稿でいう対応策とは、「投票率をあげること」に対するものです。
(日本という国が現在軸として採用している民主主義を機能させるために選挙の投票率を上げることが必要だということは言うまでもありません。僕は「為政者を変更できる」という一点において民主主義を支持する者です。)
投票率を上げるためには、当然のことですが、投票しない人を減らし投票する人を増やすことです。そのためには、「若者の投票率が低い」から考えられる対応策では充分ではありません。若者の中にも投票をする人という実態は既に述べました。そこから考えなくてはいけないし、さらに、50代以上の人でも投票をしない人がいるという実態も考慮しなくてはいけません。
「若者の投票率が低い」という「傾向」で衆院選を総括することは、分りやすく収まりが良いのですが、その摩擦の少ない滑らかな安楽と引き換えに未来への貢献を拒否してしまうことに繋がるのではないかと、僕は思います。
まっとうな選挙が行われる国にするために分かりやすい言葉で総括するのではなく、理解するにも、その後を考えるにもエネルギーを使うような実態をあらわす言葉でもって今回の衆院選を捉える必要性があるのではないでしょうか。

日本国憲法の第十二条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と記されてあります。(中略)この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起るぞ」という警告になっているわけなのです。


『日本の思想』丸山真男 岩波新書 P154〜155


「傾向」でものごとを捉えることは、「安住」に通じるものがあります。
「傾向」ではなく、「実態」で捉えるという面倒臭く、エネルギーを使ってものごとを考えることは、ささやかながら「不断の努力」の末席に名を連ねることは許されるのではないかと思います。


20代   投票した人:37.89% 投票しなかった人:62.11%
50代   投票した人:68.02% 投票しなかった人:31.08%
60代   投票した人:74.93% 投票しなかった人:25.07%
70代以上 投票した人:63.30% 投票しなかった人:36.70%
これは先に挙げた前回の衆院選の数字ですが、先日の衆院選の数字もこれに類するものになると予想します。それを踏まえて、
「若者の投票率は低い」「50代以上の投票率は高い」という「傾向」ではなく、
どの世代にも投票した人、しなかった人がいるという「実態」をみつめつつ、「投票しなかった人はなぜしなかったのか?」を次に考えてみたいと思います。


(続)