こんなもんです


山本一太氏ブログ「解散総選挙大義あり!」
http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2014-11-12


なんかすごいこと言っています。

 「党利党略の選挙ではないか?」「大義名分があるのか?」などと言う人もいるが、ピント外れの指摘だ。 ごちゃごちゃと細かい理屈は言わない。 今回の解散総選挙の最大の大義名文は、「安倍内閣が長期政権として安定することこそ日本の国益」というこの一点に尽きると思う。


だそうです。
この人は言葉の意味を分かっていないようなので指摘しますけど、
大義名分とは、


1 人として、また臣として守るべき道義と節度。「―にもとる」
2 行動のよりどころとなる道理。また、事を起こすにあたっての根拠。「―が立つ」

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/132828/m0u/


この2の方が山本氏が使う意味でしょう。
これは「公」であることを前提としています。
引用した辞書に「公」の文字はありません。なぜなら、そんなことは当たり前のことだからです。
「道理」や「根拠」に「公」の意が含まれています。
「私」の「道理」「根拠」などありません。
山本氏は、
今回の解散総選挙の最大の大義名文は、「安倍内閣が長期政権として安定することこそ日本の国益
といいます。
この選挙は安倍内閣のためのものだそうです。
明らかに「私」のためのもの、という宣言ですね。
安倍、お仲間という「私」のためのものです。
「日本の国益」のためなんだそうです。
「公」のためと言いたいのでしょう。それは山本氏がどう思おうが勝手です。
「安倍、私たちが政権にいることが国益です」と言おうが勝手です。
しかし、その言葉はどうあがいても、どうこねくりまわしても、
「私」からしか出ないものです。
「オレたちが国益だ」という言葉は原理的に「私」にしかなり得ないからです。
その言葉が正しいか、間違えているかという問題ではありません。
仮にこの言葉が「公」になるとしたら、
その時は「私」=「公」というタイミングです。
つまりは、独裁体制です。


これをもって、山本氏は独裁体制を目指しているなんていうつもりはありません。
(それを欲望しているかもしれませんが)
言いたいことは、「私」と「公」を誤魔化し、強弁する山本氏の罪と知性の不調をはっきりさせておきたい、ということです。
そして、そんな理由しか表明できないということは、「大義名分などない」と言っていることに等しいということです。


この人、安倍氏の側近らしいので、この種の言葉がお仲間のうちで出回っているんでしょうね。
不調をきたした知性に囲まれた総理が国益をもたらすとは、僕にはどうしても思えませんが。