特定秘密保護法について


昨年より参加している勉強会、1月のテーマは「特定秘密保護法について」でした。
この法は、周辺法などの整備もあり施行は今年の12月とも言われています。
法律は成立したからといってそのまま施行されるものではありませんし、
特定秘密保護法はそうであってはならない法の一つだと僕は考えます。
廃案、修正などに向けて絶えずアクションを起こしていきたいと思っています。
その一環として、勉強会の内容のまとめをここに記します。


『「讒謗律」から「特定秘密保護法」へ』
というテーマです。
過去の法律である讒謗律や治安維持法特定秘密保護法が同じものである、
といった単純な話ではなく、
権力は国民を縛る法を形を変えこれまで行ってきて、特定秘密保護法もその系列に属する法律である、という「権力と国民」を主題とした内容です。




1、 権力は<批判>が嫌い―「安寧秩序を乱す」に<基準>がない


? 讒謗律・新聞条例(1875年・明治8年 太政官布告
讒(ざん)も、謗(ぼう)も、そしる、あしざまに言うの意。律は刑罰の規定。つまり「名誉毀損」を罰する規定。
 当時、征韓論に敗れて下野した板垣退助らが74年に民選議員設立建白書を提出していた。民選による議院の設立、<有司専制>の弊害を論じ、天賦人権論を主張、自由民権運動の口火となっていた。これに対して明治政府は、讒謗律第4条(官吏に対する侮辱)を使って、政府批判の言論を封殺しようとした。
 新聞条例も政論新聞(大新聞=明確な主張をもった新聞)による反政府言論取締のために制定された。安寧秩序を乱す場合には発売禁止処分になるが、そこに明確な基準はなかった。


? 集会条例(1880年明治13年 太政官布告
 集会・結社の自由を取り締まる法令。
「国安ニ妨害アリト認ムル時」は集会も結社も不許可(4条)、集会に警官が臨席、中止・解散を命じ得る(5条)、軍人・教員・学生などの政治活動の禁止(7条)が定められていた。軍人といっても、下級の軍人だけで、上級の軍人は対象にならなかった。1890年、集会及政社法に引き継がれた。
 1878年明治11年)東京の竹橋にあった兵営の兵士達が西南戦争の論功行賞などを不満として蜂起、二百数十人が捕まって、50人以上が死刑になった(竹橋事件)。陸軍卿山県有朋は事前に計画を知っていたが、あえて事件を起こさせて民権運動の影響を受けていた兵士に対するみせしめとして多数を処刑した。


 憲法もなく、内閣制度もない明治初期にもあった行政府により、この時期に上記のような条例が太政官布告として発布されていた。その後、内閣制度ができて三権分立となっても圧倒的に行政権の優位が続き、その傾向は現在も変わらない。



2、 大日本帝国憲法(1889年・明治22)では


28条の「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限リニ於テ信教ノ自由」とか、
29条の「法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由」などとあるように客観的基準がなく、恣意的な判断ができるものだった。


3、 社会運動(労働運動)の発生とともに―治安警察法(1900年・明治33)公布


 従来の集会及政社法を基礎に、新たな社会情勢に対処するため、労働運動や農民運動に対する取締規定を加えた。集会・結社の届け出、軍人・教員・女子などの政治結社加入禁止、集会に対する警察官の解散権、結社に対する内務大臣の禁止権(1901年、片山潜らが結党した日本最初の社会主義政党である社会民主党は届出当日に禁止となった)さらに、労働者・小作人の団結と争議行為に対する禁圧などを規定。


4、 治安維持法には前史があった


 1922年、高橋是清内閣が「過激社会運動取締法案」を議会に提出。
無政府主義共産主義其ノ他ニ関シ朝憲ヲ紊乱スル事項ヲ宣伝シ又ハ宣伝セントスル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮」(第一条)、「社会ノ根本組織」を「不法手段ニ依リテ変革スル事項」を宣伝したものは5年以下の懲役というもので、どのようにも解釈できるものだった。これには新聞、通信20社が連合し「条文曖昧で、その解釈運用の如何に依りては言論報道の自由を脅威し、危険之より甚だしきはない。」などと決議し、反対した。さらに犬養毅尾崎行雄ら代議士と新聞貴社で連合会を結成し、「法案は、法文の理義曖昧模糊、量刑の範囲頗る広範・・・・時代錯誤の法案に極力反対する」とした。結局、この法案は衆議院で審議未了、廃案になった。


5、 過激法案の廃案に学んで「治安維持法」へ(1925年・大正14)


 「国体若ハ政体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」(第一条、提案当初の条文)
 政府は以前の「過激法案と違って対象を共産主義社会主義の取締りに限定しており、思想・言論の自由を侵す恐れはない」としたので、犬養らは反対せず、メディアの批判も弱くなり、治安維持法は成立した。しかし成立後は拡大解釈が進み、自由主義や民主主義的なものまで対象とされ、重罰化(死刑まで)、予防拘禁制度なども加わった。
 近年の国旗国歌法も成立当初は「強制はしない」というはずだったものが、現在では卒業式の教職員の口元チェックで処分という状態にまでなっている。一旦できた法律はそのときの当事者の主観的意図を超えて動き出すものだ。


6、「特定秘密保護法」制定をめぐって


? 権力が歴史の教訓から学んだ点
かつて過激法案が新聞社こぞっての反対が反対派議院と結びついたこと。今回は、「取材・報道の自由は守る」として、マスコミを分断。朝日・毎日・日経は反対、読売・産経は賛成、読売・日本テレビは「強行採決」の語を使わず、朝日・毎日系のテレビ局以外はNHKも含めてその場面を放送せず。
特定秘密保護法施行に向け、秘密指定のあり方などを議論する「情報保全諮問会議」が始まったが、座長は賛同派メディアの読売新聞会長・渡邉恒雄氏、反対派は7人のメンバーのうちたった1人、清水勉弁護士が入っているだけ。しかも議事録も公開しないという。


? 歴史から学ばず、国民の成長を読み違えている点
法律拡大解釈の歴史、反対の高まりへの恐怖(石破氏発言「デモはテロ」)、主催者意識の前進(成立後も諦めない)




以上です。
安倍氏特定秘密保護法が国会を通った次の日12月7日に
「目が覚めたら静か。嵐が過ぎ去った感じ」
といったようです。
安倍氏は明らかに国民を馬鹿にしています。
「わーわーうるさいけど、時間が経てば大人しくなる」
これに対しては、特定秘密保護法に賛成だ、反対だの枠を超えて、怒りを表明しなくてはならないものだと僕は思います。
馬鹿にされることに対して異議を申し立てないようでは、情けなさ過ぎます。
安倍氏のそんな姿勢に断固反対を表明することを前提として、
特定秘密保護法にも反対し続けたいと思います。