東京新聞「日米同盟と原発」

東京新聞で「日米同盟と原発」という連載が掲載されています。


http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201208/index.html


昨年の8月に連載が開始され、今でも続いています。
現在、10章です。(実際は「第10回」という表現ですが)


第1回「幻の原爆製造」
第2回「封印された核の恐怖」
第3回「被ばくの記憶 原子力の夢」
第4回「ビキニの灰」
第5回「毒をもって毒を制す」
第6回「アカシアの雨 核の傘
第7回「油の一滴は血の一滴」
第8回「勝者の驕り」
第9回「漂流する核のごみ」
第10回「証言者たち」


となっています。各回5つほどの記事で構成されています。
「対アメリカ」という観点からの「原発行政」が一貫したテーマになっています。
これを読むと、「電力が足りているから原発はいらない」といったわかりやすいもので、
原発行政は行われているのではない、ということがよく分かり、
ぐったりした気持ちになったりします。
それが事実であるなら、その事実を知ってそれを踏まえて進む、という新たな気持ちを持つわけですが。



この連載中、第五回「毒をもって毒を制す」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201301/index.html
がとても興味深いです。


>「日本には『毒をもって毒を制す』ということわざがある。原爆反対をつぶすには原子力の平和利用を大々的にうたい上げるしかない」


>「原爆が投下された日本で、原子力の無限の有効性を理解してもらいたい一心だった」


> 当時の広島市長、浜井信三(49)は地元紙に「原子力の最初の犠牲都市で初めての平和利用が行われることは犠牲者の慰霊にもなる」と前向きなコメントを寄せていた。


などの記述が出てきます。
この回では、「原子力の平和利用」がどのようにして国民に浸透していったか、を扱っています。
その端的な言葉が、『毒をもって毒を制す』です。
「世界ではじめて原爆の被害にあった日本であるから、原子力を平和利用する権利がある。それを実現しなければいけない」
その理屈をもって、日本全国で主要都市十カ所を巡回する「原子力平和利用博覧会」が開催されたとあります。
その主催が読売新聞であり、そのバックには当然‘日本の原子力発電の父’とも言われる正力松太郎氏がいます。
想像するとすごいですね。
原子力平和利用博覧会」というのは、実験や模型などを見せるものだったようです。
万博の「〜〜館」というものようなものでしょうか。
それが日本全国を回ったというのだからかなりの力のいれようですね。
そこで、
「世界ではじめて原爆の被害にあった日本であるから、原子力を平和利用する権利がある。それを実現しなければいけない」
が喧伝されていったわけです。


これは日本の原子力行政前夜の風景ですが、
何だか最近こんな風景を見たことがあるような気がしました。
思い当たったのが、安倍氏の‘原発商売’。
黄金週間の際、ロシアや中東をまわっていましたが、
その目的の一つが「原発を売ること」だったようです。
その際、トルコとの原発商売が決まったようです。


「トルコに原発輸出へ」産経新聞 2013.5.4 00:54
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130504/plc13050400560004-n1.htm


この記事中に、安倍氏の言葉として、
「過酷な事故の経験と教訓を世界と共有し、原子力安全の向上に貢献していくことは日本の責務だと考える」
とあります。
60年近く前の理屈と全く同じようです。
「事故があったからやめよう」ではなく、「事故があったのだから、それを乗り越えるのが日本の責任です」
というわけですね。
どう転んでも理屈を考え出して、原発を存続させるのだなあ、
と率直に感じます。


冒頭に紹介した「日米同盟と原発」を読んでも日本の原子力行政の全てがわかるわけでもありません。
全てが正しいわけでもないと思います。どんな新聞にも傾向があります。
ただわかることは「日本の原子力行政の裏にはたくさんの‘何か’がある」ということです。
得体の知れないものに対する時、途方に暮れてしまいます。
しかし、様々なものを見て、読み、その得体の知れないものに対峙していくことが、
福島第一原子力発電所の事故を経験した日本人のなすべきことのように思っています。