‘希望’がないようです。


NHKで「プロジェクト2030」という特集をやっていました。
ニュース番組の中の1コーナーでした。
http://www.nhk.or.jp/shutoken/2030/data/index.html


特集の内容は、
2030年の予測しうる状況において、その時に年齢的に中核になっている現在20〜40歳の人の現状をレポートする
といったものでした。
約10分弱のコーナーで、2週間くらい放送されていたと思います。


レポートされる側の20〜40歳の現状として
SNSに依存しすぎている。
・ オンラインゲームにはまっている。
・ 若年ホームレスになっている。
・ 結婚できない若者。
・ 自殺が増えている。
といったものなどが取り上げられていました。
実際に該当する人にインタビューをしたり、データを示したり、
といった感じです。
http://www.nhk.or.jp/shutoken/2030/index.html


番組の主旨としては、
「2030年、予測される困難な時代に、その時に中核を担う層に何が起きているのか」
といったことのようです。
ただ、取り上げられている方々の状況を見ると、そんな漠然とした層ではなく、もっと焦点を当てた層を中心としていることがわかります。
この特集には、例えば大学を卒業して、就職して、結婚して、子供がいて、人並みの生活をしています、という人は出てきません。
何かしら困っている人しか取り上げられていません。
特集では、これらの人をひとくくりにして「この人たちは◯◯だ」といったことは言ってなかったかと思いますが、それでも連続で見ていればどんなイメージをこれらの人に対して、特集の作り手が持っているかは自然に感じられました。
それは
「希望を持てない人たち」
です。
恐らく、この特集は
「現代を生きる希望を持てない若者たちが、中核となるべき2030年の日本を支えられるのか」
という真意を含んだものだったのだと思います。
取り上げた個人ではなく、それらの人が支える2030年の日本がメインだったのです。


それは特集ホームページのトップでも感じることができます。
http://www.nhk.or.jp/shutoken/2030/index.html
「4割近くがひとり世帯」
「8割が十分な収入を得られるか不安」
「3人に1人が高齢者」
など‘刺激的’なメッセージが掲げられています。
これらを見てまず感じることは
「ギャ、2030年大変だ!」
ということではないでしょうか。
言葉を換えれば「2030年には希望がない」。


これらから見えてくる特集の主旨は、
「希望が持てない若者が、希望のない2030年の中核に。大変だねえ」
といった、まあ大変なもののような気がします。
NHKは、視聴者を絶望させるために特集を作ったのでしょうかw
これを見て「よし、頑張ろう!」って思った人は少ないと思うのですが、いかに。


今回書きたかったことは、番組批判ではありませんでした。
そういう番組がありました、というところから、「希望」について考えたことを書きたかったのです。
「2030年、希望がない」
というのは確かに、そーかなーと思います。
早晩国の財政はパンクすることは間違いないだろうし、それに伴う行政サービスの低下、保険料高騰からの自己負担医療費増大、年金削減(解体??)、税金負担増加などなど、そういうことに詳しくない僕にでもすらすら大変なことが出てきます。
2030年はそういうことが現実となっている世界かもしれません。
それに対し「希望がない」と言うのは、まあ反対しづらいものがあります。
ごもっとも。
ただ、今一度「希望がない」について考えてみてからでも遅くはありません。
「希望がない」と思っているのは誰か、ということについてです。


もちろん、それは自分です。自分が「希望がない」と思っています。
では、いつの自分がそう思っているのか。
それは「今の自分」です。
今の自分が2030年の日本には希望がないと思っている。
となります。
今の自分の視点から見て、ああ2030年は大変だなあ、と思っているわけです。
さらに分解すれば、
今の自分の価値観に照らされた視点から見て、ああ2030年は大変だなあ
になります。
なるほど。


http://www.nhk.or.jp/shutoken/2030/data/index.html
2030年の予測データがあります。
人口に関しては、恐らくこれに違わぬ形になるのでしょう。
今すぐに子供を生んだとしても大きく変えられるものではありませんし。
この客観的事実から、1.7人で1人のお年寄りを支える、医療費が増える、税収が減るなども、また客観的事実に登録されるものだと思います。
これらを勘案して「2030年は希望がない」となっているのだと思いますが、
それらは本当なのでしょうか。
僕は、本当であり、嘘だと思っています。
どっちにも成り得るものですから。
「2030年は希望がない」は、本当であり、嘘です。
なぜなら、「2030年は希望がない」と言っているのは、
2030年自身が主張しているわけではなく、現在の自分たちであるからです。
僕たち現在を生きている人間が、
「2030年は希望がない」
と言っているのです。
ということは、自分たち次第で「2030年は希望がない」にも「2030年は希望がある」にもなり得ます。
人によってそんなのはいくらでも変わります。
2030年になれば、必ず日本人は希望をなくすわけではないのです。
当たり前のことですが、「2030年は希望がない」が主流になっているような気がしたので、はっきり言っておきたいと思いました。


2030年に希望を持つにはどうしたらいいのか。
2つ思いつきました。
1つ目は、お金をたくさん稼ぐことです。
どうやら2030年の希望がない状態は、お金がないことから起こっているのが多いような気がします。
年金不足だ、医療だ、介護だ、食べ物だ。
それらを解消するには、お金をたくさん稼ぎ貯金しておくことです。
それで多くは解決します。
できる人はそうするのがいいですね。
僕にはそんなことできる能力がありませんし、そんなことにまったく興味がありませんのでほっときますw


2つ目は、上述した
「今の自分の価値観に照らされた視点から見て、ああ2030年は大変だなあ」
から、2030年を希望のあるものに変えちゃえばいいのではないか、ということです。
つまりは、今の自分の価値観に照らされた視点を変えちゃうのです。
さきほど2030年の予測データを引きました。
それに基づく客観的事実も引きました。
その(恐らく)確かなことに対して、自分が希望が持てる、という生活形態、人生形態を考えてみるのです。
今の価値観をもって2030年を見るのではなく、
2030年の有様を確からしいデータから想像してそれにあわせた価値観から2030年を見るわけです。
今の価値観をもって2030年を見れば、確かに希望がないと思います。
得るものが少なく、失うものが多すぎる気がしますし。
ただ、2030年を想像し、そこで得られるもの、失うものを大まかにでも勘案して、その中から得られる幸せが見えたなら、2030年は希望がある、となりませんでしょうか。


実際、どこまで詳しく想像できるか、と言えば、
答えがあるわけじゃないし、非常に難しいと思います。
僕の場合ですが、2030年には単純に入ってくるお金が減って、出て行くお金が増えるんだろうなあ、ぐらいのことを考えています。
つまりは、自由になるお金が減るんだろうなあ、と。
それは今現在出来ていることでも、出来なくなるものがある、
ということを意味しています。
単純な例として、5冊買っていた本を3冊しか買えなくなる、
といった感じで。
外食の回数が減るとか、食べる食品数を減らすとか、病院での診察で7割負担するとか(想像)。映画も減らさなくちゃかもしれない。
困ったもんだ。
ただそう考えると「2030年は希望のない」ものになりますので、
だんだん自分を‘減らす’方にシフトさせていこうと思っています。
最初は我慢も必要かもしれません。
段々、我慢という認識でない領域に自分を持って行くことも可能だと考えます。
好きなものを控える、といった調整可能なものから、
どこまで医療を受けるか、といった調整しづらい死生観にまで多岐に渡るものです。
自分一人で解決できないものもあり、
配偶者や家族、親類、友人まで巻き込むものもあるかと思います。
それらも調整しつつ生きることは、けっこう大変なことですが、
2030年が希望あるもの、と自分や家族が思うには必要なことです。


どんな状況でも幸せを実感できれば、その世界は生き易い。
2030年の状況でも享受できる幸せを想像し、
それに必要なこと、ものを着々と用意していく。
それには人が必要だったら、人を大切にし、愛すことからはじめる。


今現在の価値観で2030年を迎えたら、
それは間違いなく「希望のない」ものになる可能性は高いのではないでしょうか。





と、書いてふと思いました。
「希望ある2030年」を想像することは、
どんな状況でも変わらない幸せについて考えることなのではないか、と。