若松孝二監督死去


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 若松監督の作品は、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」と「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の二作品しか僕は観ていません。その中で感じることについて書いてみたいと思います。


 上記二作品は、昭和という時代を語るには外すことのできない大きな出来事を題材にしたものです。僕はこの二つの出来事が起こった当時にはまだ生まれていませんでした。なので、その当時のこれら出来事に対する雰囲気を直接知ることはできませんが、映画を鑑賞後にその当時の雰囲気を叔父などに聞いてみました。
人によって捉え方の差異はありつつも想像したように、異常な行動だった、ということでは共通していました。恐らく当時の世論というものもその流れだったのではないでしょうか。
そして、恐らく昭和という時代の出来事の中でも、際立った異常さをもった出来事としてこの二つは記憶されているのではないかと想像します。


 そんな大きな出来事である浅間山荘事件と三島由紀夫事件(とここでは呼びます)は思いのほか映画というフォーマットでは扱われている数が少ない。本やテレビ番組ではたくさんあっても映画ではほんの一握りしかないのが現状です。映画監督である若松監督はそのことに危機感を抱いたのではないかと僕は推測します。


 現代社会の一つの面を表現する言葉として、‘記録’が当たり前にされていると思われている時代、というのはどうでしょうか。
テレビにはじまり、ラジオ、ネット、それに基づくSNSなどなど。
自分が‘記録’しなくても誰かが‘記録’してくれている時代に僕たちは生きています。どんなに大きな出来事でも小さなものでも、‘記録’は当然のようにされていると人々が思っている時代。
言葉を換えれば「人任せな時代」という言葉を思いつきましたが、若松監督はこのことにいらついて、怒っていたのではないか、と映画の製作発表などの監督自身の言葉を聞いて感じました。


 「人任せな時代」は、知らず知らずに「人に支配される時代」になります。情報が支配され、言論が支配され、思想が支配され、あげくの果てに‘記録’が支配される。‘記録’はそれを実行する人の都合よくされるものです。
だからこそ同じ事柄でも複数の人が‘記録’を実行しなくては、物事の多面性を浮かび上がらせることは不可能です。各々の都合の良い‘記録’がその対象物の多面性を人々に知らせることになるのです。それは未来の人々に向けた現在を生きる人間の義務であるとさえ僕は考えています。‘記録’を一つではなく、複数の人が行うことで、その対象物の多面性を担保する。


 しかし現在はその逆に向かっているようです。‘記録’が人任せにされる、そんな時代が静かながらも着々と歩みを進めている現状に対し、敏感な人は確かに気付いているのだと思います。しかし、大多数の人は気付いていない。そんな支配されるという前時代的な話は現代には起こるはずがない、という最初からの無意識もあるでしょうし、自分には関係ないという「人任せの時代」特有の無関心でもあるでしょう。
 

 若松監督は、昭和の二大出来事を自分で‘記録’したい、と思っていただろうことは、監督の言葉の数々から容易に想像できます。
すでに上記二つの出来事は40年以上も過去のものです。それを現在描くことの重要性は、「あの頃を生きた俺たちがしっかりと‘記録’しとかなきゃ未来の人々がこれらを理解することが困難になる。あの時代を生きた者としての責任だ」という、言わば‘雪かき仕事’にあるのではないでしょうか。誰がやっているのかよくわからないけど、誰かがやらなければ困ってしまう‘雪かき仕事’を若松監督は自ら担ったのではないか、と僕は考えています。
 もちろん、若松監督の‘記録’は、若松監督の都合の良いものとしてなされています。そこから逃れることはどんな優れた芸術家にもできません。だがしかし、各々に都合の良い‘記録’が複数集まることで、その対象物の真理に少しでも近づくことができのではないか、その一部に自分はなろう、という切なる願いと決意を若松監督の作品から感じられてなりません。僕はこういう仕事をされる方を‘公共の人’と呼びたいです。若松監督は‘公共の人’です。社会がまがいなりにも動いていくためには、若松監督のような‘公共の人’がある一定の割合で必要なのではないか、と僕は考えています。


 貴重な方が亡くなってしまいました。


心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌