髭(HIGE)を聴く

髭(HIGE)ちゃんを聴く。
相変わらず何のことを歌っているのか確信はない。
ジェネラルな意味はわからないけど、ただ、あくまで自分の中での意味がムクムク膨らんでいく。そして時に、あくまで自分の中で、それらが思想に昇華する。

その意味、思想自体はあくまで自分の意味、思想なのでドーデモいいのだけど、髭(HIGE)ちゃんがそういうバンドだということは極めて重大なことだ、と思う。
そういうバンド、とは、聴く人それぞれに意味を抱かせるバンド、ということ。

「愛してる」と歌ったり、「今すぐ会いたい」と歌ったり、そしてそれを聴いて「あ〜、わかる、わかる、その気持ち」となんだか良い気持ちに浸ったり、前戯の代わりにしたり。
そんなミュージシャンとリスナーの‘コミュニケーション’もアリだと思うけど、
「ロックンロールは死刑 熱が冷めたらそれが合図(ロックンロールと五人の囚人)」「キミの脳ミソから電波 ありがたく悪知恵を拝借(壁に話しかける普通の朝、僕はただの男)」と投げかけられて、「う〜ん、本当の意味はよくわからんけど、僕はこう感じるな」っていう‘ディスコミュニケーション’の方が僕は好きだ。

「ミュージシャン」とは「創造者」であるべきだ、と僕は思う。
みんなが知っていることを代弁するのではなく、世の中にない価値観を新たに想像/創造すること。メロディに歌詞をのっけて、わめきながら一瞬の真理を提示すること。

正直僕にとって音楽などドーデモいい。
「あのギターが」とか「ヴォーカルの声が」とか、特に興味はない。
音楽がこの世になくても生きていける。
呼吸をして、ご飯を食べて、寝て、空を見て。
音楽がなくても生きていける。

ただ一つ困ることがある。
それは感じ、考える貴重な種を失ってしまうこと。
感じ、考えることをしなくなった自分を想像してみる。
ゾッとする。
そこにあるのはまさに字義通りの「生きる屍」。
中村一義さんが「死ぬように生きたくない 〜キャノンボール」って歌ってたっけ)
ただ呼吸をして、ご飯を食べて、寝て、空を見る自分がいる。
幸せ、かもしれない。
ただ、僕も死ぬように生きたくない。

僕は感じ、考えて、活きるように生きたい。
音楽は活きるように生きるための、感じ、考える種を僕に与えてくれる。
そしてその種は、今の僕にとって、他に替え難い貴重な種。
本よりも、映画よりも、スポーツよりも、テレビよりも、感じ、考えさせてくれる種を与えてくれる音楽。
だから僕は音楽が大好きだ。

髭(HIGE)の投げかける言葉は字義通りにはあてはまらないものが多い。
字義通りにはあてはまらない=感じ、考える必要がある。
だから、僕は髭(HIGE)が大好きだ。

僕は髭(HIGE)というバンドをある人から教えてもらった。
死ぬ間際に人生を振り返ることがあるならば、その出来事は一つの項目になるだろう。それくらい大きい。
心から感謝しています。ありがとう。

今日髭(HIGE)ちゃんのライヴにいく。