最大の不幸

って一体何だろう??

まあ、人それぞれだから答えはないっていうのが答えの一つであることは間違いない。なので、個別の不幸ではなく、それを引き起こす原因について考えてみたい。その先に最大の不幸があるだろうから。

今ちょうどテレビで放送されていたこと。
アラスカに住むイヌイットの話だ。よく僕たちが想像するアラスカに住む人たちは、スノーモービルやソリに乗ってアザラシや白熊を追い、さらにつめた〜い海で鯨と格闘している。「なるほどザワールド」でもやっていたし。それはあまりにステレオタイプなのかもしれないが、実際それらがステレオタイプになっている現在進行形の現実があるそうだ。その直接で最大の要因は「オイルマネー」。

アラスカには調査によると約160億バレルの原油埋蔵量があるそうだ。この数字は、サウジアラビア:2627億バレル、イラン:1307バレル、イラク:1150億バレルなどに比べるとかなり少なく感じる。だがその少ない埋蔵量にもかかわらずアラスカは原油の採掘場としてワシントンに重要視されている。その理由は、場所であり、そして何より中東地域の不安定さによるものだろう。(ちなみにアメリカの1日の石油使用量は2000万バレルのようで、簡単計算をするとアラスカの埋蔵量で賄えるアメリカの日常は160億÷2000万=800日ということになる。2年ちょいといったところでしょうか)

1968年に油田が発見され、77年にパイプラインが完成しアラスカの石油産業が始まったようだ。そこで湧き上がったのが第一次オイルマネー狂想曲。ばら撒けるだけばら撒いたようだ。それまで自給自足のような生活をしていた人たちに、生活に必要なものなら何でも手に入るスーパーを与え、そこで何不自由なく買えるお金を与える。暖房完備の暖かい家を与える。そりゃ自分でアザラシを取りにいくことなんて止めてしまっても不思議はない。

これ自体僕は幸福なことだなあと思う。今までお腹が減ってても食べられないことがあったろうし、寒いがために家から一歩も出ずにじっと我慢していたこともあったろう。それらの苦しみから一気に解放されるオイルマネー自体は幸福でないはずがない。

ただ思うことがある。目の前の不幸のみを克服するために選択する解決策は本当の幸福に繋がるのだろうかと。そしてその先に更なる不幸が生まれる可能性も否めないのではないだろうかと。先のアラスカの例で言うと、先述したようにアラスカの原油埋蔵量はアメリカの800日分である。至極単純に考えて、800日間はオイルマネーが住民に支払われ、801日以降はとっととアメリカは本土に引き上げてオイルマネーが住民に支払われることはない、ということだ。800日間は暖かい中で美味しいものを食べられるが、801日以降は再度アザラシを狩猟にいく生活を余儀なくされる。801日以降に再度狩猟に出かける時、以前のように上手く狩猟ができるだろうか。スーパーで売られていた清潔な肉で取っていたタンパク質を再度生肉から取ることができるだろうか。暖房で温めていた身体を再度アザラシの毛皮で温めることができるだろうか。恐らくそこには苦痛が発生するだろう。オイルマネー以前に当然のようにあった不幸と事柄自体が同じものであっても、その質は完全に違ったものになっているに違いない。

上記はあまりに単純で極端な例だが、長期的な展望に立ったときの総合的な幸福を想像できないことこそ最大の不幸を招くことは確かなことだろう。何が幸福で、何が不幸なのか。それを目の前の財宝の眩さで見失ってはならない。自分の幸福のために財宝は使い、財宝に自分を使われてはならない。全ての財宝を獲得するか、全てを拒否するかという二者択一の単純式ではなく、自分の幸福のためにどのくらいの財宝を獲得し使うか。そしてどのくらいの財宝を拒否するか。その線引きをもつことが最大の不幸を回避する方法の一つなのではないだろうか。