記事「日本企業が中国から撤退する可能性高まる」に思うこと


「日本企業が中国から撤退する可能性高まる」
http://j.people.com.cn/94476/8014350.html
     「人民網日本語版」2012年11月12日



記事内容は「そうなんだー」くらいなのですが、
またもやお決まりの如くの文言が出てきています。


「日本の衰退が始まる」
「日本経済が直面している状況は非常に深刻だ。国家財政赤字、企業経営等の面で大きな問題を抱えており、主導権を保てない状態だ。中国の国力増強に伴い、日本は政治的にも経済的にも主導権を失う可能性が極めて高い」


だいたいどんな記事にもこんな内容が出てきます。
要は
・中国は強大になっていっている。
・その結果、日本は弱体化していっている。
まあ、正直これも「そうなんだー」くらいにしか思わないのですが、
そもそも「国力が落ちる。衰退する」ということはどういうことなのか、
ということに興味があります。
その奥底には
「国力が落ちたら良くないの??」
という阿呆なような疑問があります。
阿呆のようですけど、僕自身けっこう真剣に思っていることです。


それは昨今の日本の政治家、経済界の人たち、マスコミが語る
「日本は末期症状だ」
という言説にも通じるところです。
僕はそれに対し
「末期症状って何だ??」
と思ってしまいます。
末期症状ということは、それを過ぎると死んでしまうということですが、
国が死ぬとは一体どういうことなのか。
どこかの国に占領されることなのか。
日本という国がこの世からなくなることなのか。
国自体はあるけど全く機能しなくなることなのか。
これまでその答えを教えてくれる人は、
「日本は末期症状だ」
と口に出す人の中には一人もいませんでした。


まあ、今それはいいとしておいて、
「国力が落ちたら良くないの??」
です。
「日本は末期症状だ」
と同じように、国力が落ちるということはどういうことか、
具体的に教えてくれる人に僕はまだ会ったことがありません。
恐らくその答えは件の記事中にあった
「日本は政治的にも経済的にも主導権を失う可能性が極めて高い」
ということなんだろうと思います。
つまりは「主導権を失う」ということです。
多分、国力が落ちる具体的なことは、
様々な面で「主導権を失う」ということです。
そこでやはり思ってしまうのですが、
「主導権を失う」ということはそんなに嫌なことなんでしょうか。
僕なんか「そんなものいらない」と思ってしまう質なのでw、
なんともよくわかりません。
僕が想像できないところで、それを失うことでとても大変なことが起こるのでしょうが、
想像できないんだからとりあえずしょうがない。
そんな僕に今できることは、
「主導権を失った日本の社会においていかに生きて行くか」
を考えることです。
ただ返す返す「主導権を失う」ということがよくわからないので、
それが成された時、どんな日本社会になるのかわかりません。
なのでこのように変更します。
「大変なことになっている日本の社会においていかに生きて行くか」
よくわからないけど大変なことになっているだろうと推測してこのようになりましたw


「大変なことになっている日本の社会においていかに生きて行くか」


こんなふにゃふにゃした問いに対して、
答えを探ることは不可能にも近いですが、
ただふにゃふにゃしてるから分かることもあります。
ふにゃふにゃ部分を切り取って、とてもシンプルな問いにできるからです。
「いかに生きて行くか」
結局これです。
どんな社会になろうと、日本がどうなろうと、世界がどうなろうと、
死ぬまで生きていくことにはかわりはないのだから、
それまでいかに生きて行くか、を考えればいいのではないか。
生きるということは、社会の中での振る舞いももちろん含まれていますが、
その社会がよくわからないのだから、それらを省くしかありません。
つまりは、社会の在り方が関係を及ぼさない部分でどのように生きるか、
を考えるということです。
それはとても根源的なものにならざるを得ません。
なぜなら、生きるにあたって社会が個人に及ぼす影響は多大なものだからです。
それを省くのですから、とてもシンプルなものになるでしょう。
しかし、生きるにあたり最も重要な要素は、そのシンプルな部分にあるのではないかと
僕は考えています。
どんな社会であろうが、決して変わらないもの。


大切な人をとにかく守る
大切なものをとにかく守る
困っている人を助ける
度をこさない、過剰にならない
誰かがやらないと困ることをする


このリストが長ければ長いほど、どんな社会になっても生きていけるのではないかと
僕は考えています。
生き方を考えること。
中国の記事が僕に教えてくれることがそんなことだったとは
何とも面白いことですw