浮く言葉

本日、安倍談話といわれるものが発表されました。
18:00からの発表がはじまるとのことで、テレビで観ていました。
テレビ朝日で観ていたのですが、途中でCMが入ったりしたのでNHKに切り替えました。
局で内容がかわったら面白いですね。


正直内容には興味ありませんでした。
先月、今月の政府を取り巻く状況を考えてもチャレンジするような内容にはならないだろうし、だいたい予想がつくものだったからです。
実際に聞いてみて驚きもなかったですし、「こんなもんでしょ」という感じでした。
現在の安倍内閣の状況において、「反省」や「お詫び」をいれないことなんて有り得ないと思っていましたし。その意味でこの談話は国内向きのものなのだろうと僕は考えていました。
特に談話で中国、韓国と関係改善をしようなどとは思っていないでしょうし(何言っても文句いうだろ、という感じでしょう)、唯一アメリカを怒らせないようにしようというくらいの外への気持ちだったのだと思います。
安保法制が政府にとってスムースにいっていたら、もっと尖ったものになっていたでしょうが、彼らにとって最悪の状況にある現在において鋭利さを出すわけにはいかない、という判断は当然のことだと思います。だから、発表された談話のように、ツギハギだらけの総花的内容になったのでしょう。
フジテレビに出演して安保法制の説明をしたときに、「支持率なんて関係ない」的な発言をしていた安倍氏ですが、彼が気にするという日本テレビでも、NHKでも支持率が下落し、不支持率が大幅上昇する状況は気になっているのだと思います。
僕には今回の談話はそれを念頭において出されるものと思っていましたので、やんわりした内容になるのだろうと想像がついていました。
まあ、「お詫び」に言及しつつ、


「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。」
http://www.asahi.com/articles/ASH8G5W9YH8GUTFK00T.html


と、「自分がお詫びする」ことを回避しているので、ごまかしているわけですが。



僕が注目していたのは、
「どれだけ言葉が浮くのか」
ということでした。


「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」(2013年4月23日、参院予算委)。


と2年前に「侵略」を否定するかのような発言をした安倍氏が、「反省」と「お詫び」を表明する言葉はどれほど浮くのだろうか。
(浮かないだろう、という考えは端からありませんでした)
それを感じたいと思っていました。
結果からいえば、浮きまくりでしたね。


言葉で大事なのは、その内容ではありません。その言葉が発せられるマナーであり、発言者にあります。
発言者が信用ならん人だったり、発言時の態度が悪かったら、どんなに良いことを言ったとしても、その言葉は信用されません。
浮気ばかりしている人に「愛してる」と言われても信用しないでしょ?
それは「愛してる」という言葉自体の信用性ではなく、発言者の信用性の問題です。
それと同様、いくら「反省」をしても、「お詫び」をしても、その言葉を発する者に信用がなければ、その言葉は浮く、のです。
だから談話の言葉自体を検証することより前にすることは、「安倍氏は信用できるか?」ということであるべきだと僕は思います。
発言者は信用できるのか?ということです。
そのリトマス試験紙となるのがさきほど書いた「侵略の定義は定まっていません」という2年前の発言です。
その発言はすでに過去のものとなったのか、それとも現在進行形として人々の頭の中にあるのか、ということです。
この2年間で安倍氏はその言葉を過去のものとすることができたのか。
残念ながら過去のものとはなっていないと僕は思います。いまなお、その言葉は生きている。
安倍氏は心の中では侵略の定義は決まっていない=日本の侵略をごまかしたい」
と思っているのだろう、と多くの人は思っているのはないでしょうか。
いくらその言葉を否定しようが、彼、彼を取り巻く人間のここ2年の言動はその言葉を強化させているものと僕は思っています。
そのような人間がいくら「反省」や「お詫び」を表明しても、空々しいものになるのは当然です。
僕からすれば「何いってんの」と冷笑レベルです。
安倍氏というのは言葉を道具としか思っていないようで、「良い言葉」を使えば事が足りると思っているようですね。
その象徴が特定秘密保護法が成立したあとの、


「私自身がもっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと反省もしている」
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000017646.html


こんな言葉を聞いて「安倍さんは反省しているんだ」と思うオメデタイ人はいないでしょう。むしろ、「アホか」と思うのが関の山ですが、安倍氏はそれまでの自分の言動とこの言葉に纏わりつく関係性を全く想定できないようで、平気で使いました。
「とりあえず反省しているって言っとけばいいんでしょ」
という思いがありありです。
これは言葉を道具としかみていない人の典型的態度です。
人間は言葉を使う存在ではなく、言葉の檻に閉じ込められている存在です。
自分の知っている言葉でしか物事を考えられないですし、他人に物事を伝えることができません。
「ヤバイ」しか知らない人は、良いものに対しても、悪いものに対しても、素敵なものに対しても、何でも「ヤバイ」としか表現できません。
「ヤバイ」でしか思考できない人の考えが深度をもつことはありません。
言葉を使っているようで、言葉の檻の中でしか人間は生きることができません。
そのことに謙虚になるべきですが、安倍氏は言葉に対して自分が主人と思っているようで、道具としてそれを使うことでいくらでも自分の思い通りになると思っているようです。
その傲慢さがここ2年の間彼の言動から表れていて、彼の信用性を大きく損なっているのだと僕は思います。
今回の談話も、「こういっておけばいいんでしょ」という、言葉を道具として使う態度の上に成り立っていました。
そんな言葉が浮くのは当然のことなのです。