学力テスト成績公表について思うこと

学テ成績公表、来年度解禁へ…市町村教委が判断


 全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)について、文部科学省は、来年度から区市町村教育委員会の判断で学校別成績を公表できるよう実施要領を見直す方向で検討に入ることが20日、わかった。
 学校間の「過度な競争や序列化」を招くとして公表は禁じられてきたが、一部自治体などから公表を望む声が強まっていた。専門家会議で11月末までに公表方法についてとりまとめ、要領を改定する方針だ。
 同省は学校別成績について、区市町村教委による公表を禁じ、各校の判断で公表することのみ認めてきた。しかし、大阪府泉佐野市が昨年10月、今年度のテストで市立小中学校の成績を公表する方針を一時打ち出したことを機に、同省は今年2月、来年度以降のテスト結果について公表のあり方を検討する姿勢を示していた。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131020-OYT1T01071.htm
読売新聞 2013年10月21日07時19分

      • ここまで ---


【参考】
国学テ成績、学校別公表容認へ 知事の40%「望ましい」
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/131021/lif13102112470008-n1.html
産経デジタル 2013.10.21 12:46



学力テストの結果を公表する、しないの話が出ているようです。
区市町村教育委員会の判断で」というのが冒頭の読売新聞にありますので、
一律に義務化されるわけではないようです。


僕は公表には反対です。
以下その理由を書きます。



1、目的は何だ??


そもそも公表の目的が分かりません。
いろいろこれ関連のニュースを読みましたが、かろうじてその目的を語っているのは橋下大阪市長です。


「保護者全員に学校の課題を認識してもらうためにも情報開示すべきだ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131021-00000535-san-pol
産経新聞 10月21日(月)16時45分


橋下氏の目的として、保護者に学校の課題を認識してもらうことがあるようです。課題という言葉が使われているこのコメントから分かることは、学力テスト成績公表は、
「成績が良くなかった学校をピックアップする」
ということです。
一般的に結果が良い人に対して、
「あなたには課題があります」
とは言いません。課題があるのは、結果が良くなかった人です。
集団でも当然同じです。
橋下市長は御丁寧に‘保護者全員’の認識のために、と言っています。
「あなたの子供が通っている学校は成績が悪いのですよ。課題があります」
と橋下市長は保護者に教えてやりたいそうです。
その結果何が起こるか。
それは容易に想像できます。保護者の学校、教師への突き上げです。
「何で成績悪いの!教え方が悪いんじゃないの!」
保護者からしたら感情でもそう言いたくなるかもしれませんし、
成績が悪いという結果を突きつけられたら何かしないと、と思うかもしれません。
それは上記のような詰問系の言葉によってなされるのが現代日本です。


どんな提言でも教育に関するものであるなら、
その提言者は「教育を良くしたい。子供の学力をあげたい」と願っていると僕は信じています。
橋下市長もそうなのでしょう。
しかし、上記のような保護者の突き上げで子供の学力は上がるのでしょうか?
教師に「もっとちゃんとやれ!」と言えば、子供は勉強するようになるのでしょうか?
理屈としては分かります。


1、 保護者が学校、教師を突き上げる
2、 学校、教師が対策を練り、実践する
3、 その対策のおかげで子供の学力があがる


こういう澱みのない流れは理解できます。
しかし、こんな流れ本当に起こるのでしょうか?
もし本当に起こるのなら、とっくに子供たちの学力は上がっているはずです。
実際上記の流れを信じているメディアは学校、教師を突き上げているではないですか。
それに乗じた保護者の存在も度々報道されるではないですか。
その結果が「教育改革をしなければ!」という大合唱であり、認識ではないですか。
つまりは、実際に突き上げをした結果、子供の学力は上がっていないではないでわけです。
こんなことが効果あるなら、毎日保護者は学校、教師を突き上げているはずですし。


「学校、教師を突き上げても子供の学力は向上しない」
という認識を現在日本の状況の結果から推測することは、
かなりの確度で妥当性があるでしょう。
その認識と逆を行く橋下市長(そして恐らく公表を推進する他の方々も)の認識には、大いに疑問を感じます。



2、「問題児」の発生


学校単位での公表を前提にしているようです。
しかし、個人がどうこう関係ないとは言えないと僕は考えます。
成績が良くなかった学校にも、当然個人では成績の良かった生徒もいます。
その学校の中でも成績のグラデーションは当然あります。
成績公表というのが前提になったら、学校も教師も上位に行けるように力を入れることでしょう。当然保護者からのプレスもあるでしょう。
その結果公表された成績が良くなかったらどういうことが起こるでしょか?
それはその学校内での成績のよくなかった生徒に対する圧力の発生だと思います。
「お前のせいで学校の成績が良くなかったんだ」という、学校、教師、成績の良かった生徒、保護者からの圧力。
そして、「僕のせいで…」という自分から自分への圧力。
露骨に「お前が」とは言わないかもしれません。
しかし、「学校全体で成績が良いことを願って頑張った」という行為に対して、
その願いに背くような原因となった生徒に対して、無言かもしれませんが、圧力が発生することは、自然の流れだと思います。


そしてその行き着く先は、
成績が良くないことは「問題児」である、という認識です。
「問題児」と認定された生徒が、その原因となった勉強に対して意欲を燃やす姿を、僕はなかなか想像できません。
結果、生徒の学力を上げたい、という教育に関する提言をする人の意思(と僕が信じている)ことは、実現されるどころか、反対の効果をもたらしてしまうのではないでしょうか。
ここでもピックアップされるのは、成績の良くなかった側であり、
それはその生徒の成績をさらに下げることになるという結果を僕は想像します。
逆に成績の良かった生徒の成績がさらにあがるのかと言えば、
さして影響はないでしょう。
確かに学校の中で「あの生徒は成績が良い」という認識は進むかもしれませんが、そんなの学力テストがあろうがなかろうが分かっていることです。
生徒の成績なんか普段の授業、テストで誰もがだいたいのことは知っているものです。
恐らく多くの方に同意していただけると思いますが、
成績の良い生徒は何をしても、しなくても成績が良いものです。
そういう生徒に「よくできました!」という周囲の認識はさして影響しないものと僕は思います。



3、「競争」が良いらしい


今朝ラジオでこの件に関する話を放送していました。
聴取者に「賛成or反対」のアンケートをとっていました。
結果は、370回答中、55%賛成、40%反対といった感じでした。
賛成の意見の中に、
「横並びになってゴールする徒競走が良いですか?競争は必要です」
というものがありました。
これを聴いていて思ったのは、
「ああ、問題のすり替えがあるな」
というものでした。
ここにある認識は、


成績を公表する=競争がある
成績を公表しない=競争がない


です。これも理屈では分かります。公表した方が競争がより激しくなってみんな頑張る、ということでしょう。
しかし、考えれば当然のことですが、公表しようが、しまいが、既に競争はあります。そんなの戦前からあります。
競争推進主義者からすれば、競争はあればある程良いのかもしれません。
どうぞご自由に、と思いますが、世の中そんなタフな人ばかりではない。
むしろ過度な競争は、過度なストレスを生みます。
その結果、うつ病になる恐れも考えられます。
余談ですが、昨日NHKスペシャル『病の起源』という番組を観ました。
その内容は、うつ病の起源でした。
そこでは魚やチンパンジーうつ病になる、という衝撃的なことが紹介されていましたが、彼らがうつ病になる原理は人間と同じだそうです。
様々細か要因はありつつも共通していることは「過度なストレス」による扁桃体の暴走だそうです。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/1020/


そんな競争が子供たちの学力を上げるとは、僕にはどうしても思えません。
これは成績の良い生徒、そうでない生徒に関係なく、
当然個人差はありますが、全ての生徒に影響を与える問題ではないでしょうか。
これ以上子供たちにストレスを与えてどうするのだ、と思わずにはいられません。



以上、学力テスト公表に対しての僕の反対意見でした。